前回、林業修行を始める前は不安しかなかった、というお話をしました。
実はその不安の中で大きかったのが、「自分は林業に向いているだろうか」ということです。
まわりに林業関係者は全くおらず、チェンソーにすら触ったことがない。
林業への向き・不向きなどわかるはずもない・・・!
万が一向いていなかったらどうしよう。
そう思っていました。
しかし結果的にこれは全くの杞憂に終わりました。
秋冬の林業シーズンには1日でも多く山に入りたいと思うほど、林業にハマってしまいました。
これほどハマるということは、ある程度自分は林業に向いてると言えるかもしれません。
それでは、自分のどのようなところが林業に向いているのか、メンタル面をちょっと深堀りしてみたいと思います。
CONTENTS
1.慎重で臆病
私は数年に一度、周囲もあっと驚くような大胆な行動にでることがあります(5年前の脱サラ・移住・林業もそうでした)。
しかし、元来は慎重で臆病な人間です。
この慎重さ、臆病さが林業とマッチしていたと感じることがあります。
どんな仕事も同じだと思いますが、林業も段取りが命です。
慎重で臆病だから念入りに段取りを組みます。(上手くいかないことも多いですが…)
慎重で臆病だから、安全で壊れない道作りを目指します。
慎重で臆病だから安全な伐倒を心掛けます。
慎重で臆病だからブログを書き始めるのに時間がかかってしまう…??
危険と隣り合わせの林業という仕事。
慎重で臆病なことは「強み」になっています。
2.ロマンチスト
自分でいうとかなり恥ずかしいですね…
でも、そうなんだと思います。
この連載をこれまで読んで下さった方は薄々気づいたかもしれません。
木は植えてから100年、200年と生き続けます。
林業は自分が生きている間に最後まで見届けることが出来ない職業です。
植林した先人の苦労に想いを馳せ、自分がいなくなった未来に夢を託す…。
たまに木と対話する… (理解できますか…??)
自分でも、「結果も見られないのに、なんでこんな大変なことをやってんだろ??」と思うこともあるのですが、見返りがあるとすれば、もう”ロマン”という言葉以外に表現が見つかりません。
そもそも、山にコツコツ道を作るなんて、普通は想像すら出来ないですよね。
3.ひとりが苦にならない
私は1人で行動するのをあまり苦にしません。
ひとり旅、ひとり飯、ひとり映画、ひとりカフェ、etc、わりと平気です。
独身時代は、1日中、ひとりで部屋に籠もりっきり、なんてこともよくありましたし、
何日も友人・知人に会わない引きこもり的な時期もありました。
この、「ひとりが苦にならない」点は、基本的に孤独な仕事である林業に向いているように感じます。
林業が孤独と感じる理由は、職場が基本的に人里から離れているからとか、私が普段ひとり人で山に入っているから、ということも多少あります。
しかし、たとえ複数人のチームで現場に入っていても、やっぱり林業は突き詰めると孤独な仕事だと思うのです。
チェンソーや重機を扱っているとき、大抵の場合、周りに人を寄せ付けてはなりません。(言うまでもなく危険です)
特に、木を伐るのは、もっとも孤独な作業です。
『さあ、この木を一緒に伐ろうぜ!』
なんてことはありません。
「ひとりで孤独のプレッシャーに向き合い続けられるかどうか」という点は、林業を続けるにあたって、重要な資質のひとつと感じています。
ただ、誤解のないように付け加えますが、林業が本質的に孤独な仕事だからといって、1人で山に入ることを奨めているわけでありません。
私は事業規模や1人の身軽さから、1人で山に入っていますが、作業効率や事故が起きた際のことを考えると、2人以上が望ましいと思っています。
同じ志を持った仲間と山で汗を流すのは楽しいと思うし、将来的には複数人体制で出来たら良いと思っています。
まとめ
どうでしょう?
皆さんが想像していたキコリのイメージと合致したでしょうか?
これはあくまでも私という1サンプルの話で、全林業家を代表しているわけではないことは、賢明な読者の皆さんなら既にお気づきでしょう。
林業家にも様々なタイプはいると思いますが、そのひとつの参考になれば幸いです。
それではまた次の記事でお会いしましょう。
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