思考

「なめんなよ」と思ってたら「なめんなよ」って言いそうになった

先日、とある会合で、とあるオジさんと同席しました。

80代も過ぎられているのに、すごく元気でビックリしていたら、あちらから話しかけてこられました。

「あぁ、東京から来たっちゅう人か」

「結婚しとるんか?」

「今日は休みか?ダンナは来とらんの?」

いきなり矢継ぎ早です。
Yes・Noで回答するのが精いっぱい。

「子どもは?え、おらんて??はよ作れ!!

・・・はっ??作れ??

突然のなんかの「司令」にビックリしすぎました!!

そのときのわたしの感情といえば

ななみ
ななみ
え、そんなに若く見えるのかな?

↑なぜかちょっとありがとうな気持ちもあれば

ななみ
ななみ
傘寿も過ぎて、お元気で何よりです

↑というおめでとう感もあったのですが

とはいえやはり

ななみ
ななみ
子ども子どもって、こちとら今年50だぞ なめんなよ

ってのが大きいですよね。

一瞬のうちに、同じ人に「ありがとう」「おめでとう」「なめんなよ」って思うことって人生であんまりない。感情が複雑すぎて処理しづらいんですけど。

でも総合的に言うと

ありがとう+おめでとう <<< なめんなよ

で なめんなよの圧勝 でしたので、そのまま口から出そうになりましたが、そこはギリで敬老精神が先に立ちました。
自分の父親とほぼ同年齢の相手だし、父親だと思うことにすれば、多少許せる。

「あぁそうですねぇ」と何に同意しているかわからない回答で返し不快感を伝えたんだけど、わかってっかな。

まったくもって、交通事故みたいな不運でした。

ただ、ひとつ重要な発見もありました。

子どもが生まれるということはおめでたいことなので、いつ、誰に催促してもいいと思っている人がまだ世界には一定数いるようで、子どものいない人は、度々こんな風に言葉を投げつけられる目に遭うらしい。
しかし、移住前も移住後も、わたしはこんな経験は今までほとんどありませんでした。
これまでよほど、周囲の人がまともだったんですね。

なので、「子ども作れなんて言われたら、不快だろうな~」ともちろん想像はつくもののの、これまでは実感がそれほど伴っていなかったわけです。

しかし今回、ひとつ実体験を経たことで、「ありがちなデリカシーのない発言をされた人の気持ち」がちょっとリアリティをもってわかるようになりました。

わたし自身は、子どもを持つことについてあまり熱量が高くないので、そこはそれほど気になりません。
ただ単に「プライバシーに踏み込まれた」という生理的嫌悪感だけなのですが、これがまた、想像してたよりもずっと気持ちがワルイもんでした。

しかしわたしがもし、「とてもとても子どもが欲しいのに授からなかった人」だったら、何気ない一言に、どれほど心をえぐられたでしょうか。たぶん、そこに「慣れる」ってことはないと思うし、慣れたときには心が死んでるってことだろうと思う。

わたし自身も、調子に乗って失言を後悔したことも何度もあります。
しかし今回改めて、今後の人生では、自分は他人にこんな嫌悪感を与えたくないな、と心底思いました。

とはいえ、失言を避けることばかりを考えていると、怖くて何も話せなくなりそうでもありますね。

どうしたらいいのか。

考えてみたんですが、結論は、「話題の引き出しを増やすこと」に尽きるのかなと。

失言をする人は、要するに話題に乏しいんですよね。

話題に乏しい人にとって会話を継続するのに手っ取り早いのは、相手のプライバシーに立ち入ること。またはそこにいない第三者の悪口を言うこと。
ワイドショーを想像するとわかりやすいと思います。

話題の引き出し=教養を積むことは、自分を高めるためではなく、人を傷つけないために必要なのかもしれない。

いろいろ勉強になりました。
ほんと、「ケガの功名」というのは存在する。