思考

誰かのしょうもない「アドバイス」は聞かない、と決めた

他人から「アドバイス」されたとき、どのように対応しますか?

相手にもよるんですが、わたしは案外、耳を傾けてしまうほうです。

しかし、かつてもらった、ある「アドバイス」について、今となっては、

ななみ
ななみ
無視すりゃよかった

と思っていることがあるので、ご参考まで。

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わたしがブログを書き始めた当初、なんとわたしは「毎日1記事執筆」していました。

ブログの書き始めは「慣れ」が必要だな、と思って。
「質を高めるには、ある程度の量産が必要だ」という自分なりの方針のもと、100本ノックするようなつもりで、毎日何かしら書いていたんですね。

ところが、それが5か月くらいたったあるとき、お問合せフォームを通じてこんな「アドバイス」が舞い込んできました。

要約すると、

毎日更新だと、記事の内容が薄くなりますよ。クオリティの低い記事は、ブログ全体に良い影響を与えません。月に数本に絞り込んで、良いものを書くべきです。

とまぁこんな感じでした。

ちなみに、差出人はわたしとほぼ同年代、しかしすでにブログ歴20年というなかなかのベテランの方。

ななみ
ななみ
誰だか知らんけど、確かに、言ってることは正しいのかもなぁ

と思ってしまったんですよね。

「悪貨は良貨を駆逐する」じゃないですけど、ゴミみたいな記事があると、ブログ全体の評価が下がる、みたいな話は、ブログ界の定石としてよく言われること。

なので、そのときから「少しでいいから、良いものを書く」という、寡作の大作家みたいな路線へ突然変更したのでした。

その結果、何か起こったかと言うと、

 

ほとんど何も書けなくなりました。

 

チーン。

 

「質の高いものでなければ、公開しちゃいけないんだ」という強迫観念みたいなものに襲われて、すっかり手が止まってしまったのです。

そしてたまに書くと、不慣れでなんだかギクシャクしており、むしろ以前より読みづらい…

つまり「量より質」を追った結果、「質も量も失った」わけです。

 

今思えば、わたしは職業作家でもないし、自由に書きたいことを書けばよかった。

なぜ見知らぬ人の、しかもわずか1つの意見に、こんなにコロリと影響されてしまったんでしょうか。

理由の1つは、ネット上で受ける意見は、たった1人からのものであっても、なぜか世の中のすべての意見の代表のように感じてしまったことだと思います。

深刻さの次元は全然違うけれど、ネット上の誹謗中傷が(1つの)原因で、命を絶ってしまう人の気持ちが、ほんの少し、わかる気がする。

そしてもう1つの理由は、歳を重ねるほど他人の意見には耳を傾けなければならない、という「老害にならないための自戒」みたいなものが行き過ぎたせいかもしれません。

これは1つの姿勢として悪くはないと思いますが、しかし、度を過ぎると、誰かに何か言われるたびに右往左往してしまいます。

自分が害にならないのも大事だけど、だからと言って、よそからの害悪を全部受け止める必要もないじゃんね?と今なら思う。

最近になって

「直接利害関係のない人からのアドバイスは聞く必要がない」

という、とある識者の言葉を聞いて、なるほどこれが1つの基準、フィルターになるのかなと思いました。

たとえばわたしの場合、ブログのスポンサー(いないけど、もしいれば)や、よくブログに登場するオットの意見なら聞くべきでしょう。

ただ、それ以外のすべての意見は、簡単に言えば「生活音」みたいなものなのかもしれません。

歩いていたら必ず足音は立つ。いやむしろ、足音がするということは、前に進んでいるという証拠なのかもしれない。

それに。

ついでに言うけど、例の「量より質」アドバイスを送ってくれた人のブログ、改めて見たら

 

全然面白くない。よく20年もこれ書いてんな

 

ななみ
ななみ
急に悪口言うな

まぁでも、そもそも「質」って誰が決めるんだよ、って話でもありますね。

特に文章なんて、高いレベルではもちろん「質」云々はあるのでしょうが、こんな個人的なレベルではむしろそこにあるのは「好き嫌い」って話だけなんじゃないかと。

自分なりの質の高さというのは、「読んでもらいたいと思う人に、どれだけ届けられるか」と言い換えられるのではないかと思います。

ともあれ、「量より質を追え」、と言われたことの影響は、かなり長く尾を引いてしまいましたが、ようやく最近になって解放されてきました。

「質を高めるには、ある程度の量産が必要だ」という自分なりの方針があったはずなので、原点に返ろうかと思います。

わたしですら、こんな感じなので、真面目で素直な人ほど、より色々な提言やアドバイスに振り回されがちになることでしょう。

ですが、自分の最大の利害関係者は自分自身。

「自分から自分」へのアドバイスこそ、もっと重視してあげるべきかもしれません。

…というアドバイスでした。