田舎暮らしも5年目に入ったななみです。
もともと、わたしが会社を辞めて田舎に越したのは、簡単に言えば「環境を変えたかった」ことが理由でした。
なので、自分自身の内面や考え方、価値観などを変えたいと思ったことは特になかったんですよね。
というのも、脱サラ移住当時ですでに40年以上東京で暮らしていたので、基本的な感覚はどこにいたって(変えたくても)変わらないだろうな、と思っていた、早く言えば諦めていたからです。
便利な生活が好きだろう。
欲しいものは欲しいだろう。
行きたいところも減らないだろう。
そんなぼんやりしたことを思いながら移住しました。
一方、移住してみると。
他の移住者の方の中には「エコ」「ロハス」「スピリチュアル」「自給自足」etc。な感じの人生をまっしぐらに追っている人が多くいることがわかりました。
つまり、当時のわたしとはかなり対極にある感じです。
”まぁ良いことなんだろうけど・・・”
”文句を言う理由はどこにもないんだけど・・・”
上手く言えない違和感やザワザワする気持ちもあり、どうしても受け入れられないある種の人々とはさりげなく(心の)距離を置くようになりました。
今思えば、「どんなにエコエコ言ったって、所詮、電気や車がないと暮らせないのに、どこか嘘くさい」という、”0か100か”みたいな極端な白黒をつけたがっていたような気がします。
しかし5年目も終わりになろうとする今、自分の意識が少しずつ変わってきました。
これまではなるべく外界、たとえば外国などに関心を持ち、出かけたり外国語を学ぶことが視野を広げ、人生をよりよくする最高の手段だと思ってきましたが(実際、それは悪いことではないと思いますが)、ふと、足元を見るようになりました。
たとえば地面。たとえば草、落ち葉。
土ってどこにでもあるけど、どこからどうやってできたのかな?
なんで雑草は、肥料もなくてこんなに元気?
半世紀近く考えずに生きてきたことに目が向くように。
田舎に住まなかったら一生考えなかったと思います。
視野を広げることばかり考えるのではなく、たまには目線を落としてみるとまた別のものも見えてきます。
上記に挙げたエコ・ロハス系の人々についても考え方は変わってきました。
確かに「100」はできないけど、ひとり10ずつ、10人がやる。というのでもいいのかもと。
こうした変化に、はっきりした理由やきっかけがあるわけではないのですが、色んな人とのかかわりや高知の自然が少しずつ自分の中に蓄積されて、それがあるタイミングで溢れてきたのかもしれません。
それでも、移住者は個性的な人が多いですし、「あの考え方は今一つピンと来ない」と思うこともあります。
ただ、”わたしにはわからないけど、そういうアプローチもあるんだろうな”と、すんなり考えられるようになりました。
本当は「色んな人のことを静かに受け入れられるような人」になりたかったのかもしれません。そしてそれが少し叶ったような気もします。
他人は変えられない、変えられるのは自分だけ。
とよく言いますが、歳を取ってから自分を変えるのも、簡単ではないんですよね。
時間はかかりますが、先に環境を変えると、いつかはそれに見合った風に人間も変わっていくのかなと実体験から感じているところです。