想う

友情の賞味期限

こんにちは、ななみんです。

タイトル通りですが、最近「友情の賞味期限」について考えています。

それはやはり理由があって、長い間友だちだと思っていたひとから、

ななみん
ななみん
あ、わたし縁を切られたみたいだ

と感じることがあったから。

わたしのほうは、会う機会がなくても大事に思う気持ちは変わっていなかったのですが、彼女からするとそうではなかったみたいです。

あぁ、彼女の人生に、もうわたしは必要ないんだな。

それどころか、たぶん、目障りになったのだろう。
そう感じると、ずっと親しくしていただけに、寂しい想いがとてもします。

この数年間は会っておらず、たまのメールや年賀状のやりとりくらいだったので、なにか決定打があったというより、

  • 積り積もった不満があった(わたしに対して)
  • 彼女に何か事情が生した

ということが考えられます。

前者については、まぁ、あるかも・・・
わたしが自覚してないのが一番ダメなんでしょうけど、無神経な言動があったのかもしれない。

後者も、ありえるとは思う。
女性も40代になれば、仕事でもプライベートでも、つらい時期がある。
そんな中で、人との付き合い全般がわずらわしい、というような時期は誰にでもある。

(と、考えたいだけかもしれない)

こうやっていろいろ考えるのだけど、結局「で、どっちなのかな?」って本人に答え合わせできるわけもないし、結果は同じで

昔は確かにそこにあった友情は、消えてなくなった

という事実があるだけ。

こうなると、男女間の話とあまり変わらないような気もしますね。

ナンデ ワタシ フラレタノ

って考えて、良かった時のことを想い出して、もらったプレゼントは見ると悲しくなって、竹内まりや(今ならHY?)でも聴きたくなる。

ただ、男性相手ならば仮にフラれても次に新しい人が出てくればすぐに前のことは忘れてしまうけれど(たいていの女性はそうだろうと思う)、本当に大事な女性の友だちを失うと、仮に新しい友だちが何人できたとしても、それはそれで、上書きされることはない。

・・・というのが、わたしが知った新しい事実です。こんな年になって!

考えてみると、わたしはずーっと東京にいたので、ほとんどの人とは、縁が切れているのかつながっているのか、特に確認する機会がないまま過ごしてきたんですね。

今こうして遠くに来て、所属もない人間になって、はじめて本当の「縁」がある人、ない人、が見えてきているだけなのかもしれません。

とはいえ、

ま、ご縁がなかったということで!

と彼女をついて済ませる気にも、とうていなれない。

ただただ、ぐちゃぐちゃと寂しい想いや未練から抜け切れないでいます。
書いていて、泣きそう。

自分では「ない」と思っていた賞味期限が、実はあった。
しかも、最後のほうは、もう片思いだったらしい。
寂しい現実。

でも現実はただ受け止め、消化でも昇華でも、するしかない。

君子の交わりは、淡きこと水のごとし。

と言い聞かせてます。自分に。

これも、悪くはないのだと。

最後に。

彼女はブログやSNSを見ない人だし、伝えられる手段はないんだけど、「今まで色んなところ行ったよね、ありがとう」「もし何か悪いことをしていたら、ごめんね」と伝えたい。

それから、とてもマジメで清潔で優しい人だから、

ずっと幸せでいてね!!