想う

「他人からどう見られるか」を勝手に想像することほど無意味なことはない

こんにちは、ななみんです。

「他人からどう見られるかを気にしない」

っていう話、わりと自己啓発系の基本ですよね。

これはもうその通りでいいと思うんですが、わたしがもう一歩踏み込んで強く思うのは

「他人からどう見られるかを、勝手に想像しない

ということです。

わたしは東京で会社員を20年くらいやっていて、語学は多少できたし、仕事はかなり早いほうだったし、

ななみん
ななみん
わりと仕事できる人ってきっと思われてる♪

と、思っていました。

一方で、ヒトとしてはどうかというと。
友だちも多くないし、言いたいことを言うし、子どものころから、「みんなに好かれる人気者」みたいな位置づけでは全然ありませんでした。

大人になっても、ごくたまに「好き!」と言ってくれる奇特な人はいるけれど、少数のマニアにちょっとウケてるだけで、人気とか人望はないんだろうなぁと思っていました。

なので当然、20年超続けた会社員を辞めるときには

「会社の損失だ!」

とか

「キャリアがもったいない!」

とか言ってくれるかなぁ。

でも、送別会とかはそんなにないんだろうなぁ、人気ないし。

と想像しておりました。

しかし、現実は全然。

才能を惜しむ声
特になし

ななみん
ななみん
えなんで?

自分が思っていたほど、仕事のできる人のイメージは(全然)なかったようです・・

がっかり。

でも、送別会は思わぬところでも開かれたり、「好きだったのに残念です(※女性から)」と告白されたり、と。

人気者とまでは言えないものの、自分が思ってたよりは好かれていたんだなぁというのがとても意外でした。

そうなると、もったいないことをしてきました。

ななみん
ななみん
だったらもっといろんな人と仲良くすればよかったよ 

と。

けっこう、人とは距離をとるクセがついてしまっていたんですよね。

まぁ逆に、仕事については

ななみん
ななみん
もう少しマジメにやるべきであったか

という反省もございます。

今日の記事で言いたいことは、ずばり、

「他人からどう見られるか」を勝手に想像することほど無意味なことはない。

という教訓です。

だって、どんなに想像したって、本当の答え合わせができるのは、お別れのときなんですから。

わたしのように、そのときに「自分の勝手な思い込みによってなくしていたもの」に気づいても遅いわけです。

そもそも人の気持ちなんてうつろいやすいものを、他人が想像すること自体、ムリがあります。

ありのままにおればよいのではないかと、今は思っています。