こんにちは、ななみです。
田舎暮らしのハードルって、一般的には「仕事が少ない」とか「人間関係が面倒」とか言われるんですが、わたしが良く思うのは
てこと。
たとえば、先日うちの庭に通っている水道管が壊れて水が噴き出してしまったんですよね。
都会なら、ネットでとりあえず修理できるところを探して、電話して依頼して終わり。
あるいは、賃貸なら大家さんか不動産屋に相談するところでしょう
しかし、ここは田舎。
うちは賃貸だけど、不動産屋を通していない(人ヅテで探した家)。
そして大家さんは85歳。電話してみても
大家「わからんなぁ、誰かに頼んでちょ、お金は払うけん」
もちろん、近所の業者とか、ネットには載っていません。
高知市から業者を呼ぶのも非現実的です。
トホ・・・
お金があっても、使いようがない。
ある局面では、ホントに紙切れでしかないですね。
これが田舎暮らしです。
でもこれって、戦時中とか、災害の現場とかにも、似ているような気がするんですよね。
お店やコンビニがからっぽだったらお金があっても意味ないし。
で結局、わたしたちが頼ったのは、知り合いの82歳のおじいさん。
・・・に、紹介してもらった85歳の水道屋さん。
この85歳の水道屋さんが、めちゃめちゃお元気でして、高いハシゴもいとわず、見惚れるような慣れた手つきでさっさと直してくれました。
「年の功」をリアルに感じる。
元気な80代ってかっこいいな。
ちなみに82歳のおじいさんのほうには、以前にも、家の前でタヌキが死んでいたときにお世話になりました。わたしたちが呆然としてたら、なんか片付けてくれた。
タヌキって、あのタヌキですよ。
これも都会なら、ネットでお金払って、便利屋でもお願いするところですよね。
(めったに家の前でタヌキ死なないですけども・・・)
こんな感じで、人とのつながりが生命線みたいなところがある田舎の暮らし。
色々助けてもらうことのほうが多いんですが、気を付けるべきは、いつまでも”助けられる側”でばかりでもいられない。ということ。
ギブ&テイクで言えば、順番にテイカーにならないといけないのです。
オットはこの5年、林業で頑張ってきたので、チェーンソーやユンボなどの基本的な使い方が身についてきたので、それは何かのときに誰かの役に立つこともあるだろうと思っています。
なんだかんだ言っても、こういう一次産業的なスキルが役に立つことが多い。
そんなわけで田舎の暮らしは、ある種のサバイバル力がつくような気もするんですよね。
都会暮らしのときに比べて、「漠然とした将来への不安」みたいなものを感じることは少なくなりました。
わりとこれは大きな財産になるのではないかと感じています。