秋から冬にかけての林業シーズン(約5ヶ月)、私は大半の時間を道作りに費やしています。
その間に百本以上の木を伐り、搬出して市場に出荷するという、素材生産的なこともしますが、メインは道作りです。それはなぜか。
今日はその話をしたいと思います。
CONTENTS
山に道を作り続ける理由 1 山の価値が劇的に向上するから
林業をする上で、山の価値を何で計るかということは人によって異なると思いますが、仮に山に木が生えている状態であれば、次に重要なのは
- 山に入って行けるか
- 木を伐り出せるか
- 木を伐った後の山を健全に保てるか
ではないかと私は考えます。
つまり、山に入り易く、木を伐り出し易く、山を健全に保つ方法があればベストです。
しかし現在の日本には、木が生えているのに、そこに容易に入れず、だから木も出せず、放置状態になってしまった山が溢れています。
一方で、目先の利益のために、山に大きな負荷をかける手段で、一度に多くの木を伐りすぎてしまうと、山は健全さを保てなくなります。
どうすれば良いか。
「良い道が出来ると、山に通いたくなるんや」
これは林業修行1年目に聞いた道作りの師匠の言葉です。
良い言葉だなぁと思い、以来、この言葉を頼りに良い道作りに励んできました。
そして5年目の今、「良い道が出来ると山に通いたくなる」というこの言葉は、私が取り組む自伐型といわれる小さな林業の本質を捉えた言葉だと改めて思います。
ここで師匠の言われる「良い道」とは、自伐方式のもと、高い技術で作られた、安全で壊れない道のことを指します。
自伐方式の道とは?その三大特徴
- 幅員(道幅)は2.5m以内
- 切取高(山側の切り取った部分の高さ)は1.5m以内で、切取面は垂直にする
- 山林内に葉脈のように路網を張り巡らす
この幅員2.5以内というのが最大の特徴で、これは現在主流の林業で使われている道と比べると、0.5~1mくらいは狭い幅員です。
狭いから環境に負荷をかけず、道を山林内に張り巡らすことが出来ます。
すると、山のどこの木を伐ってもすぐに道まで運び出せるようになり、木材の搬出が楽になります。
良い道が出来て何度も通うことが出来れば、こまめに山の手入れをすることが出来、木材を一度にガバッと取ってしまうのではなく、少しずつ伐り出せます。
すると、山を健全に保ちながら、木を伐り出せるのです。
この、「こまめに」「少しずつ」というのが、自然との共存共栄を成立させ、林業を持続可能にする秘訣だと考えています。良い道がそれを可能にするのです。
そしてさらに、「良い道」はそれ自体が山を健全化することに寄与していることが最近明らかになりつつあります。
師匠たちの山の豊かさを見れば一目瞭然で既に実証済みといえますが、NPO法人地球守の代表である高田広臣さんの著書「土中環境」を読んで、そのことをさらに論理的にも説明出来る可能性があることが分かってきました。
この本の中では、山林や河川の荒廃というのは実はその土中(つまり地中)環境の荒廃であるということ、また、その原因と改善方法が示されています。
さらに、今も残る古来の土木造作(古道や石垣など)が土中環境を健全に保つ役割を担っていることも教えてくれています。
そして、この本で紹介された改善方法や昔の土木造作を見たとき、そこには自伐の道作りと相通ずる部分があると思ったのです。
高田氏は実際、「自伐方式の道が土中環境に与える好影響」については別のところでおっしゃっているようですが、現状それはまだ道の表面的に見える部分だけではないかと推測しています。
今後、自伐方式の道が土中に仕掛けている様々な造作についても解明して頂けるのではないかと期待しています。
このように、良い道が出来れば「人が何度も山に入ることを可能にし、林業を持続可能なものしていく」、そしてさらに「その山自体を健全に保つ」ことができます。山の価値は劇的に変わってゆくのです。
山に道を作り続ける理由 2 未来への投資、そして恩送り
道作りには、未来への投資という側面があります。
自分自身や山主さんが山から長期的な利益を得るという意味もありますし、さらに次世代に渡っても価値を生み出し回収するための投資です。
しかしもうひとつ、投資とは異なる、ある種の「恩送り」の意味も、実はここには込められています。
我々が現在林業をすることが出来るのは、数十年前に先人が山に木を植え、育ててくれたおかげです。それはかなりの難行だったと思います。
先人にとってもそれは未来への投資であったとは思いますが、それだけではなく、未来の子孫の繁栄のためでもあったはずです。
我々は先人に直接その恩を返すことは出来ませんが、その一部分を収穫させてもらう代わりに、山をより良い状態にして、その恩を子孫に送りつないでいくことならできます。
その基盤となるのが「良い道」なのです。
割り切って考えれば、そんな先人の苦労は山を売買する際にちゃんと精算されている、それが経済の法則だ、だから恩送りなど気にしなくていい、となるかもしれません。
しかし、経済の法則だけでは割り切れない「何か」が山仕事にはあり、それが山仕事を続けていく核のようなものになっているような気がするのです。
その「何か」はまだボンヤリとしていて、ここで上手く説明することは残念ながら出来ません。その輪郭を明らかにしていくことが今後この連載を貫くテーマであり、連載を書き続ける目的でもあるといえます。
山に道を作り続ける理由 3 単純に楽しい!
急に砕けた話になりますが、道づくりはともかく、楽しい!!んですよね。
林業全般にも言えることですが、特に道作りには、冒険、探検、開拓、ロボットの操縦、そのような子供の頃の夢、憧れのようなものが詰まっています。
足を踏み入れるのもためらわれるような藪や急峻な山に分け入りルートを選定し、そこを人や車が楽に通れるように開拓していく。
そこで使う機械は、通称「ユンボ」と言われる小型のバックホウ。
人力の何倍もの力で土を掘り、盛って、踏み固めるということを可能にしてくれる、道作りの主役とも言える重機です。
操作に慣れてくると、自分の手足の延長のように扱えるようになります。
自分がまるでアムロ・レイ(初代ガンダムの主人公)にでもなった気になるのは私だけではないはず!?
ただ、実際の冒険、探検が楽しいことばかりではなく、危険と隣合わせで、むしろ苦しくシンドイ場面の連続だったりするのと同様に、道作りもシンドイことの連続で、常に危険と隣り合わせです。
それだけに、道が完成したときの達成感もまた格別です。
最後に
”道作りは作品作り”
道は山に残す、いわば自分の作品です。
しっかりと作って、きちっと管理された道は100年は持つと言われています。
100年は持つ作品を作らせてもらえる栄誉とその責任を負ってもいるということです。
そう考えると、そうそう中途半端な仕事を残す訳にはいきません。
道作りは山の価値を高める一方で、やり方によっては環境破壊や災害にもつながります。
目先の利益ばかりを追い求めるのではなく、長期的な視野が必要です。
山を活かすも殺すも道次第。そのことを肝に銘じて、これからも道を作り続けます。
仮に…
技術の進歩によってドローンを遠隔操作して集材出来るような世の中になり、
林業用のインフラとしての道が不要になったとしても、
人が自然に触れたいと思う気持ちは変わらないはず。
そのときに、道は別の役割として人々に親しまれるかもしれない…
そんなことも夢想してしまいます。
ではまた次の記事でお会いしましょう。
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