思考

人の死に関連して、わたしが誤解していたこと

今回、父の死去にともなって、わたしにとっては「思ってたんと違った」ということがけっこうありました。

中でも印象的だった3つを挙げてみます。

誤解1.「大往生」なら、明るく送り出せる

現在の日本の平均寿命は(諸説あるようですが)世界で第4位。
約85.2歳(女性:約88.2歳、男性:約82.1歳)だそうです。

この数字を見ると、80代後半以降での逝去はまずまず天命を全うした、大往生だったといえなくもない。

わたし自身も、「もし親が亡くなったら悲しいだろうけど、でもきっと”頑張ったね!”と明るく送り出せるはず」というぼんやりとした予想をしていました。

しかし現実は違ってた。

少し考えればわかることですが、長寿だったということは、それだけ想い出も多いということ。

そりゃそうだ。なんで気づかなかったんだろ。

自分の幼少期、反抗期、低迷期、そして自分が落ち着いてきたら今度は親の高齢期、と、本当にいろんなフェーズでの記憶や感情が複雑に絡んできて。

大往生?そんなスパっと明るく送り出せるかいな、というのが実態でした。
思ったより、しんどい。

誤解2.家族は悲しみを共有できる

家族(母・兄・姉・わたし)は、父の死に際して一枚岩と思っていたのですが、いざ亡くなってみると、ちょっと違うかもと思うようになりました。

ちょっと奔放な父に振り回されつつも見放さなかった母、看護師として、長女として、「わがままな患者」でもあった父を支え続けてきた姉。

大変なことが多かったはずの2人と、都合のいいときだけペットみたいにやってくる末っ子(わたし)とは、「悲しみ」という感情はベースでは”共通”はしていても、その色合いは全然違っていて、完全には”共有”できるはずもない、と改めて感じました。

なんというか、苦労しらずでほとんど父の良いところしか見ていないわたしが、母や姉と同じ目線で悲しみを語るのはおこがましい、そんな感じです。

誤解3.死後の整理、手続きは大変である

人が亡くなると、通夜や告別式の準備、各方面への連絡、遺産や遺品の整理、場合によっては相続争いetc、いろんな大変なことが起こる、というイメージを持っていました。

もちろん、人によってはそのとおりでしょう。

が、わたしの父は生前から「葬式も戒名もいらない」という白洲次郎みたいなことを言っていたので、通夜も告別式もない家族葬を選択。
あっという間に火葬まで進みました。

さしたる財産もないので特にもめることもなく。

しいていえば、書斎が雑物で散らかっていて、片づけは多少大変ですが、ぶっちゃけ捨てるだけなので。

つまり、ちょっと拍子抜けしたということです。

何も持ってないほうが、あとに残されたほうは意外とラクでした。

ただ、やっぱり、身の回りはいつも整頓していなきゃな、と思った次第です。

わたしの父が、ほんの短い間に状況が転じてしまったように、人間は思ったよりあっさりと生から死への境目を越えてしまうことがわかったので。