田舎ライフ

「田舎は不便!!」についてのわたしの考え方

こんにちは、ななみです。

「田舎」といえば「不便」!
もうほとんど1つのセットとして使われるワードですね。

ただ、ここで終わると発展がないので、今日はそこをもう少し掘り下げてみたい。

田舎は不便だ。確かに。

で、「その不便は不幸なのか?」って話です。

 

まずわたしが住んでいる高知県四万十市は人口33,000人くらい。

同じくらいの規模の自治体は、岩手県久慈市、静岡県熱海市、新潟県小千谷市、山梨県山梨市などなど。(参考資料はこちらから)。

そんな四万十市は高知県西部の中心都市(たぶん)なので、日常の買い物などはあまり不便を感じません。

逆にいえば不便を感じるのは、イレギュラーが発生したときなのです。

たとえば、オットが「呼吸器の専門病院に行きたい」と言い出したとき。
たとえば、わたしが「製菓学校に通いたい」と思ったとき。
たとえば、夫婦で「建築建材のショールームに行く」必要があったとき。

これらを解決するには、近くても高知市へ行かないと。
いや、なんなら、福岡や大阪、東京へ行かないとまともに選択肢もない。

まぁ不便ったら不便です。
しかしそれも正直、不幸とまで思ったことはなく、さらに、さほど深刻でもありません。

遠くても移動すればいいだけの話で、その移動を(余裕があればですが)面白がればいいだけで。

さらに、「不便」は、ときに妙な能力を開花させることがあります。

このあたりには「エスニック料理店」がないので、仕方なく自分たちで作るようになったし、欲しいものが売ってないから自分でDIYするようになったり。

東京に住んでいたら、すべてがお金で解決できる便利な環境で、実は自分の手は「財布を開く」以外にもいろんなことができることを、忘れていたかもしれません。

さて唐突ですが、わたしはかつて「ラゾーナ川崎」(神奈川県)というとても大きな商業施設から、徒歩5分もかからない場所に住んでいたことがあります。

ここがまぁ素晴らしいところで。天国みたいなところです。

ちょっとおしゃれなイオンモールという感じでしょうか。(天国?)

ここにはわたしの生活というか人生に必要なものがほぼすべて売っていました。
そう、本当に、オット以外は全部ここで買えたといっても過言ではありません。

今思い出しても、魅惑的な場所です。

自宅の庭に、シネコンとフィットネスとビックカメラと丸善(書店)とレストランと洋服屋と無印良品があるようなもので、それはもうめくるめくような楽しい暮らし。

ななみ
ななみ
いっそラゾーナで働こうと思ったり

もはや「ラゾーナに住みついた座敷わらし」状態。

ふと気づくと、会社とラゾーナ以外にほとんどどこも行かなくなってしまいました。

本当に快適で便利で楽しかった。

ななみ
ななみ
死んだらラゾーナの建材の一部にしてもらおう

しかしです。
はじめは(というか5年くらい、結構長ぇ)「便利、便利」と喜んでいましたが、行動範囲が狭まるだけならまだしも、なぜか思考能力まで下がっていくのを薄々感じるようになりました。

それはおそらく、幸か不幸か、ラゾーナは価格帯や趣味嗜好がわたしに非常に合ってしまっていたがために、深く考えずに何もしても何を買っても、大きな失敗がなかったためです。

それが企業側のマーケティングなんですけど、それにしてもはまりすぎました(笑)

ここまで極端な環境にいたことが、却って「行き過ぎた利便性」に関する疑問や怖さを認識するきっかけになったのかもしれません。

人をダメにするソファ、っていうのがありますけど、まぁラゾーナは巨大なソファみたいなものでした。でも、今でも好きです。(なんの告白?)

とはいえ、この話から言いたいのは、他人に田舎とか移住を推奨するということではありません。

人によっては「都会にしかない業種の仕事が天職」だとか、「持病があって専門病院にしっかり通わなければならない」とかいろんな事情があります。

こういう人が世間に流されて「地方の時代だ!」なんて思ってしまうと逆にマズイ。

言いたいことは、「自分にとって必要な利便性は何か、どのレベルか」というmyモノサシを持っていたほうが良いのではということ。
これは決して、世間や友人とは同じではない。

ちなみに今のわたしにとっては、クロネコさんをはじめとした宅配業者さんが来てくれないのは、最大の不便で、そして確実に不幸です。
(来てくれないと、カフェが経営できないから!)

ですが今のところはそれ以外の不便はまぁ~なんとかなるんじゃないかという感覚なので、たいていのところには住む自信があります。

今となっては、それはひとつの強みです。

皆さんも一度、自分にとってギリギリの不便を考えてみたり、あえて不便な環境を試してみると面白いと思います。