当ブログにおいでくださってありがとうございます!
今でこそ、一応「林業」に関わっているわたしたち夫婦ですが、2015年末までは、完全な東京の会社員でした。
2人ともマーケティング・リサーチという職種を15年近く続けており、管理職になって、すっかり落ち着いていたのですが・・・
なぜそこから「田舎の林業」に激しく方向転換してしまったのか?
忘れないうちにまとめておきたいと思います。
CONTENTS
安定感のあったサラリーマン生活、しかし・・・
2000年代に入り、年功序列、終身雇用は崩れていく感じがありましたよね。
とはいえ、わたしたち夫婦の勤め先はすぐに潰れそうな感じでもなかったし、リストラされそうな感じでもなかったんで、
55歳まで働けば、早期退職しても暮らしていけるかも!
という「惰性逃げ切り案」もありました。
しかし、一方で私にはいつも気にかかる言葉があったのです。
”If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?”
もし今日が人生最後の日なら、今日やろうとしていることは、本当に自分がやりたいことだろうか?
言うまでもなくJobsの言葉ですが、いつもこれが引っかかっていた。
もし今日が人生最後の日なら、出勤するだろうか?
しねぇな(即答)
うーん、それがわかってることを、このままあと10数年続けていいのか?
そんなこと考えつつも、朝が来たら自動的にご飯食べてメイクして出勤しちゃうんですけどね。
現役人生の残り半分をどう生きるか
そういうことを考えていた背景には、やはり「年齢」があったでしょう。
そろそろ会社の定年は70歳の時代になりました。
22歳で社会に出て、70歳までは48年。
「45~46歳」はちょうど、真ん中くらいにあたるのです。
「現役人生の残り半分をどう生きるか?」
みたいな話を、オットとちょくちょくするようになりました。
転職するか?とか、早期リタイアを真剣に考えるか?とか。
そんなある日、オットがポツリと、
「地方に住んでみたいかなぁ。で、やるなら一次産業をやってみたいかなぁ」
と。
そういわれたわたしの第一印象は「なんじゃそりゃ」だったんですが、そのことについて何度も考えているうちに、「そうしたかったかも」と思い始めるようになってきました。
なぜ「地方」「田舎」に引っかかりはじめたか
当時のわたしたちの仕事は「日本のメーカーの品を海外で売るお手伝い」みたいなものでした。
なので海外に行くことも多かったのですが、やはりビジネスなので大都市がほとんど。
ロンドン、フランクフルト、パリ、ミラノ、デリー、北京、上海、ソウル、etc
仕事に乗じて海外を見聞するのは楽しいことなんですが、だんだんと「都市疲れ」してきたのは確かです。
文化も言語も違くてオモシロい。
けど、人が多くて、お金を稼ぐことと使うことに一生懸命なのはどこも一緒だよね・・・
一方、プライベートではそれを中和するように、キューバやラオスやブータンなど、少し「田舎感」が残るところを好んで出かけるようになっていました。
立派な美術館や洗練されたショップはないけれど、「こういう暮らしかたもあるんだな・・・」と考えさせてくれる場所。
ところが振り返って見ると、日本ではほとんど東京しか知らないということに気づいてしまう!
もちろん旅行ではあちこち行っていますが、それほど長期滞在したことはない。
日本の地方で暮らしたらどうなるんだろう?と考えるようになっていきました。
農業?漁業?それとも・・・
ところで、オットのほうも、「一次産業」とは言ったものの、いざとなると農業も漁業もピンと来ないらしい。
「あとは、林業・・・??」
別に登山好きとかでもない。
林業なんか縁もゆかりもない。
はじめは直感的なものでした。
しかし調べてみると、
林業=低収入、高齢化、斜陽産業、補助金ビジネス、危険、死亡率No.1業種、etc
やっぱりダメっぽい
さすがに気持ちがすーっと引きかけたそのとき、偶然見かけた「自伐型林業」という文字。どうやら、「小規模で効率的に行う林業のスタイル」のようです。
2015年11月に東京で開かれた自伐型林業の小さなフォーラムに参加し、はじめてその考え方を知りました。
自伐型林業とは??
本来、農業は農地の持ち主がやる。
だったら、林業は山林を持っている持ち主がやる。
・・・はずですよね。
がしかし林業は、持ち主がやらずに外部委託(主に森林組合)がやることが当たり前になっている。
林業は機械などコストが高くつくため、木材の価格がとーっても低い今、個人がちょこちょこやっても全然モトが取れない!というのが「外部丸投げ」になっている理由です。
しかし、それは「大型機械で、皆伐する」という前提だから個人では採算が取れないのであって、「小さな機械で、少しずつ木を伐りだし、持続的に収入を得る」という個人レベルでも可能な考え方、やり方があるのです。
そのあたりは、自伐型林業推進協会の説明がわかりやすいです。
このやり方は「新しい」というよりも、むしろ「林業本来の形に戻っている」と考えるべきものです。
昔は、田舎なら畑と山を持っているのがふつうで、畑をやりながら木を伐り出して現金収入を増やすとかが当たり前。
畑中心なら農家さん、山中心なら林家さん、というだけで、山や畑の恵みで生きてきたというのが田舎の本来の姿。
でも、都会出身の私たちは、山なんて持ってないけど・・・?
実は、現在は、田舎で山を所有している方々が高齢化し、代替わりが進んでいる時期。とはいっても、後継ぎのはずの子供たちはとっくに都会に出ていて、山なんて見たこともないし、興味もない。相続も面倒だし、売れるなら売りたいという人がいる!
→ ということは、買いたい人には買うチャンスがある!
というわけです。
ただし、あとから現実的には「山を買う」は、そう簡単ではないことがわかりますが。
とりあえず高知県へ!
ともかく、このフォーラムで話を聞いて、
”個人でも素人でもチャレンジできる可能性がある”
という点もさることながら、
「山をハゲ山にしないで、環境に負荷をかけないまま、林業で人間も暮らせる(かも)」
というところに私たちはかなり興味を惹かれました。
そして、いま自伐型林業が盛んな地域としては、森林率が84%と日本一である高知県であることを知って、高知県への移住を考え始めたのでした。
まとめ
移住と林業を考え始めたのが2015年12月。
それから4か月後の2016年4月には、すでに高知県で生活を始めているという、スピード感でした。
ここだけ聞くと、「無謀」とか「性急」とか思われるかもしれませんが、わたしたちの中には、常に「いつか自分たちは大きな転身をするかもしれない、いや、したい」という気持ちがずっとあったからこそ、機会が来た時にすぐ飛べたのだと思います。
それだと言っても必ず成功するとは限りませんが、つねに次の段階を考えつつ、心の準備をしておくことは必要だなと、今でも感じています。
移住して終わり、ではなくてまだ通過点に過ぎないので、次のステップをまた今から視野に置いておきたいところです。