栗ご飯を自分で作る生活、始めました
去年、今年と、カフェの家主さんの敷地にある木になっている、立派な栗を頂いているので、栗をむきはじめました。
わたしは都会に住んでいたときは、まったくやったことがなくてですね。
栗ごはんというのは、デパ地下で買うものという認識。
それがいまや、栗をもらい(ときどき拾い)、のんびり剥いて、栗ご飯を作ったりしています。
栗をむくには、これを使っています。
栗をむくためだけの道具ってすごくないですか・・・さすが日本。
でももうこれなしでは生きられないほど重要な道具です。
栗ごはんはル・クルーゼで作っています。
で、これで炊くと、ごはんもさることながら、栗のホクホク感がすごい。
こうして栗をむいたりする心の余裕があるのはありがたいです。
東京にいるときは、帰りは22時とか23時も普通でしたし、電車がなくなるまで会社にいたことも珍しくありませんでした。
とうてい、栗なんて剥いていられません。
それがいまや、18時過ぎには2人で夕飯を食べています。
なんでもないようなことですが、長い間、会社のデスクで夕飯を済ませていたような時期を過ごしてきたわたしたちにとっては、それが最高の贅沢だったりしています。
栗が教えてくれたのは、「時間持ち」が一番豊かだということでした。
とはいえ田舎は忙しい
ふだん感じていることを、忘れないために記事にしてみました。
時間持ちが、一番豊かだ
と書きましたが、実際には田舎の生活は忙しくて、ぼーっとしている時間が多い、というのとはちょっと違います。
忙しさは、「どれくらい忙しいか」ではなく、「何のために忙しいか」が重要なんだと最近気づきました。
どんなに慌ただしくても、自分の意思で、何かを育てたり、創りだしたりするための忙しさは、そんなに苦にはならないのかもしれませんね。
というようなことを、栗を見たり梅を見たりしながら、季節ごとに似たようなことを考えています(笑)
あなたは何で忙しいですか?