田舎ライフ

移住者の眼を忘れないということ → 地元に染まればいいというものではない

こんにちは、ななみです。

先日、

「コスタリカに学ぼう」

というテーマの集まりがありました。

コスタリカは、中米の小国で人口約500万人。日本に比べると、本当に小規模な国です。

しかしこの小国は、軍隊を持たない非武装永世中立国として知られています。これだけで急に輝きを帯びてきますね。

さらに、四国と九州を合わせた程度の大きさの中に、地球上の全動植物種の約5%が生息し、単位面積当たりの生物多様性が世界一と、ハンパない自然の豊かさを持つ国です。

さらにさらに、国土の約25%が自然保護区または国立公園となっていて、国が保護しているという稀有な地域。

いまや、

エコツーリズムはコスタリカの代名詞!

でもそんなコスタリカも、実ははじめから自然保護に熱心だったわけでもなく、バサバサ森林を破壊していた過去があるのだそうだ。

今でも「自然保護より、経済優先!リゾート開発賛成!」という人も多々あり、保護派と対立する側面もあるといいます。

さて前置きが長くなりましたが。

昨日の会は、そんなコスタリカの真実を描き、自然を守ろうと格闘する人々を描いたドキュメンタリー映画「最後の楽園コスタリカ ~オサ半島の守り人~」を見ようというもの。

さらに、映画の後に、愛媛県に住むコスタリカからの移住者、ファビオさんと、アメリカからの移住者、ベンジャミンさんなどを交えててトークする、というものでした。

特にこの映画の舞台になっている「オサ半島」では、環境や生物に極力配慮しながら、観光を重要な収入源としています。

それまでは森を無計画に伐採したり、牧草地に変えたり、希少な動物までを害獣として駆除してしまっていた地元の人々も、外国人がコスタリカの自然を求めてやってきて、おカネを喜んで落としていく状況を見て、「自然や動物が重要な資源」だと気づいていきます

この会の流れで、頻出したのが、OPEN EYESという言葉。

つまり「〇〇のおかげで開眼した」「〇〇が彼らを開眼させた」というようなキーワードです。

つまり、コスタリカの自然の重要性への気づきは、当初外国人観光客によってもたらされた(OPEN EYESされた)ものでした。

ふと、自分に置き換えて考えてみると、確かに、四万十でも地元に長くいる人ほど、その自然の価値を低く見積もる傾向があります。

わたしたちのような移住者のほうが、「ソーラー反対!」「川の美しさは山から」などの話に熱心だったりするものです。そしてそれを見て、地元の人が「あれ?そうなの?」となったりするのはよくある構図。

しかしどちらかといえば、外から来たわたしたちのほうが、この地で日々「OPEN EYES」することのほうが、いまだにやはり多いのです。

しからば、OPEN EYESは相互作用であるなぁと感じ入りました。

 

人が移動し、行動し、発言することで、どちらかだけではなく、互いに「OPEN EYES」されてゆく。

 

OPENは、自動詞でもあり、他動詞でもあるから。

 

コスタリカも四万十も、どこでも同じ。

 

「昨日より今日、OPEN EYESすること」は、日々わたしたちが模索している生活や人生そのものかも。

 

そのためには、他者を受け入れなければならないし、自分も他者に入っていかなければならない。

 

しかしこんなちょっとした気づきは、意外とすぐ忘れてしまうんですよね・・・

移住4年目のわたしたちは、ちょっと中途半端な立場にあるような気もします。
完全な新参者でもないけれど、まだ地元民とも到底言えない。

 

移住したばかりのころ、地元のある人にこう言われました。

「あなたがたも3年もしたら、今の新鮮な移住者の気持ちを忘れてしまうと思うけど、よそ者の目というのは大事だから、なるべくなくさないようにしてほしい」

と。今、その意味がよくわかるような気がします。

移住者と地元民、どちらのEYESも持っておきたいと思うのです。