田舎ライフ

移住5年目にして、初めて「農」のことを考える

こんにちは、ななみです。

いつもは林業の話ですが、今日は農業の話をします。

都会から田舎に移住する人の中には、そもそも農業に憧れて・・・って人も多いのですが、わたしはまったく農業に興味を持っていませんでした。

いや、実を言うと、「興味がなかった」というより、「怖がっていた」のです。

名づければ、農業恐怖症。(聞いたことない・・・)

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農業恐怖症の理由 ① 学校教育?

わたしがずっと「農業恐怖症」だった理由のひとつは、たぶん学校教育にあります。

わたし(1971年生まれ)が育った時代は経済が上向きで、のちのバブルに向かって突進していった時代でした。

農業より工業、そしてサービス業が儲かる。
自営業より会社員が安定している。

都会の会社員を目指し、地方から都会に人が集まっていた時代です。(今もですが)

そんな時代、社会科の教科書を開けば、農業についてはネガティブな話しかありませんでした。
就農人口の減少。
「さんちゃん農業(注)」の深刻化。
(注)農業だけでは食えないために父ちゃんは出稼ぎや勤め人をしている兼業農家。母ちゃん・じいちゃん・ばあちゃんの”3ちゃん”で農業をするの意。

米の減反。
冷害、病虫害、etc

ハッキリ言って、学校で農業に関して明るい話を聞いた記憶が全くありませんし、そもそも周囲の畑もほとんどなく、農家の同級生もいない。

東京の子どもにとって、農業は「遠い星の悲しい話」でしかありませんでした。

農業恐怖症の理由 ② 母の呪い?

さらに、わたしの農業恐怖症のもうひとつの、そして最大の理由は、実は母親にあります。

わたしの母は宮崎県の農家の出身にも関わらず(いやだからこそ)「絶対に農家だけにはなってはならねぇ」というスタンスでした。
それはもう、秋田のなまはげに言われているくらいの、恐ろしい感じ。

今思えば、母が農業や農家を忌避していたのは、「機械化も進まない昔、大家族を抱えた専業農家が暮らすのは壮絶な苦労があった」という過去があまりに大変だったから。

確かに、わたしの小さい頃はまだ母の実家に「働く牛さん」がいたので、1970年代でも牛耕(!)をしてたってくらいのレベルです。

それ以前の苦労も推して知るべし。

しかし当時は、こういった背景の説明もあまりしないまま、ただ農家と農業を呪う母がそこにいました。

それを聞いて小さいわたしは、ただただ

なんか農業ってヤバいらしい

と思うだけ。
三つ子の魂百までってほんとですね。

農業と距離が置けない田舎暮らし

そんな風に生きてきたわたしは、高知に来てからも、農業とは距離を置くつもりだったのですが、ちょっと困ったことになります。

田舎では、農業とは距離が置くに置けない。

そもそも農家さんが多いのはもちろんですが、驚いたのは、公務員であれ、会社員であれ、自営業であれ、家で何かしら「農」に関わることをしている人がほとんど。

もう家の間取りが基本「4LDKH」(⇒畑)みたいなのが当たり前。(たまにTんぼもあり)

そして会う人会う人、しょっちゅう何か野菜をくれたり、畑に関する話題をしたりする。

そんな状況で5年も経つと、さすがに「門前の小僧習わぬ経を読む」みたいになってきますよね。

農業に関する知識がほぼ皆無で、全く学ぶ気がないわたしですら、「スーパーで買う野菜」「直売所で買う野菜」「普通の人が作る野菜」の違いや、無農薬/無肥料/有機栽培だとどんな見栄えや味になるのかなど、少しずつ体感でわかるようになってきてしまいました。

積極的に農業を学ぼうとか愛そうとか思ったことは一度もないのですが、「気づいたら、いつも隣に座っていた」という月曜9時のドラマみたいな展開に。

穏やかに存在する「農」のありかた

そうして改めて見てみると、「農」は怖いものではありませんでした。

怖いと感じていたのは、実は”農業”や”農家”の中の、「農」ではなく、「業」あるいは「家」という部分。
つまり、「専門家として、ナリワイにして生きて行かねばならない」という意味の、重みが怖さとしてプレッシャーになっていたのだと気づきました。

まず一度、「業」や「家」といったずっしりした言葉を取り去ってみました。

「農」という部分だけを見たら、それは本来、暮らしの一部として、もっと穏やかにゆるく、誰のところにも存在していて良いもの(というか、そうあったほうが良いもの)なのではないかと、ある日、憑き物が落ちたように、ふと感じたのです。

だからむしろ順序が逆なのではないか。
「農のある暮らし」が当たり前にあり、そこから「農」の部分がものすごく好きな人が専業となり、農業や農家に進んでいくというのが、幸せなありかたのような気がしています。

ところで、「農家だけにはなってはならねぇ」と言い続けてきたうちの母親も、結局庭いじりが大好きで、マンションの狭い庭をモグラのように掘り返し続けています。

「野菜作ると農家になっちゃうけど、花なら園芸家だから(オッケー)」

というナゾのマイルールのもと・・・ものすごく上手に花が育ってるんですけど。

農家のDNAがあふれてしまっている様子。遺伝子強すぎ。

やっぱりこの人は「農」が好きなんだな。

今後について

半世紀も生きて(笑)、やっと「農」についてポジティブになったことだし、幸い、環境にも恵まれていますので、ゆるく楽しく付き合っていくことを前提としています。

ソローもこんなことを言っています。

ここで、私が仲間であるあなたにぜひともお伝えしたいのは、自由に生き、些細なことに頭を悩まさずに暮らそう、ということです。
農場や農業にとらわれすぎては、監獄に入ったも同じです。

(ヘンリー・D・ソロー)