こんにちは、ななみです。
いやー、「伝記」って、ときどき読んだ方が良いと思いました。
今日は、料理研究家の小林カツ代さんの評伝。
伝記を読むと、いかに自分が「マスコミで作られたイメージで人を見ているか」がよくわかります。(もちろん、伝記がすべて正しくないときもあるとは思いますが)
CONTENTS
小林カツ代さんのイメージががらりと変わる
ところがこの本から伝わる実像といえば、
- 何不自由ないお嬢様育ち
- 結婚したころはまったく料理が出来なかった
- 絵が得意で、アーティストを目指していた
- 「瞬間湯沸かし器」と言われるほど怒りっぽい
- エリートの旦那様とは途中から実質離婚状態
え、庶民じゃないの?怒りっぽいの?家庭円満じゃないの?
(・∀・;)
実際読んでいるととてもストイックな情熱家だってことがよくわかります。
裕福な家に育ち、幼いころから世界各国の味に慣れ親しみ、「舌の英才教育を受けてきた」、華麗で洗練された人だったわけです。
イメージ違いすぎ。
「カツ代の肉じゃが」はいったいどこから・・・
大阪の商家出身てところが、庶民性をかろうじて残してたのかもしれないですね。
小林カツ代さんが「世間に知らせたかった」こと
カツ代さんがとことんこだわったのが、以下の2つを世間に知らしめること。
家庭料理は格下ではない!
家庭料理っていうのは、格下の料理のジャンルではない。
日本料理、フランス料理、中国料理、そして家庭料理という風に、立派なジャンルなのだと言いつづけた。
「家庭料理は、 いわゆるプロが作った料理と比べると格下の料理のように思われているけど、そうじゃない。 日本料理、 フランス料理、 中国料理とあるならば、 それらの料理と同じ延長線上に家庭料理というジャンルがあるのよ」
自分は”主婦の代表”ではない!
自分について付けられがちな「主婦の代表」という呼び名は徹底的に拒否し、「料理研究家」と言い続けたそうです。
後年、 雑誌のインタビューでカツ代は自身 を「主婦」と紹介される違和感についてこう答えている。「常に新しいものを考え、 料理のプロとして人に教えてお金をいただく訳でしょう。 曾野綾子さんを主婦とは絶対に言わないのに、なぜ料理だと主婦が前面に押し出されてしまうのかしら」
家庭料理はお母さんの作るアマチュアのものというそれまでの常識への違和感とか、料理のプロは料理家であるという当たり前のことが認められない悔しさとか、そういう理不尽さが許せない性格だったようです。
小林カツ代さんは有言実行のひと
カツ代さんが料理研究家になったきっかけ、それは一通のハガキ。
主婦だったカツ代さん、テレビを見てて想ったことをそのまま書いてテレビ局(ワイドショー)へ投書したそうな。
「最近、芸能人のつまらない話題ばかり。もっと生活感のある、例えば料理とかをとりあげたらどうですか?」
そうしたらなんとテレビ局に呼ばれて、
「あなたの葉書は面白く読みました。でも、誰がそれをやるんですか。あなたが実際にやってみませんか?」
と言われちゃうんだけど、いやー、ふつうそんなことないよね~。なんかすごい特別なケースなんですけど!
・・・でも良く考えたら、わたしたちがカフェを開店した経緯とけっこう似てました(笑)
カフェの家主さんとの何気ない会話・・・
夫「ここってふだん何に使っているんですか」
Yさん「いまはめったに使わんよ」
私「カフェでもしたらいいのに・・・」
Yさん「あんたら、やったらええよ」
夫婦「へ?」

犬も歩けば棒に当たる?(良い意味で)
想いは口に出した方がいいと、改めて感じました。
小林カツ代さんの行動原則
カツ代さんの行動原則が、
「興味を持つ。 知識を得る。 行動に移す。 世界が広がる」
ということ。
これ、
興味を持つ → 知識を得る
まではカンタンなんですよね。
たとえば、何か興味を持って、セミナーなんかに勉強に行く人はたくさんいるじゃないですか。
やたらセミナー好きな人っていますよね。わたしとか(田舎に来たら行けなくなった・・・)。
でもセミナーなどで、「役に立った」という感想を述べたひとのうち、その日学んだことを行動に移す人は統計的に言って「5人に1人(20%)」なんだそうです。
さらにそれを継続する人に至ってはもっと少ない。
このシンプルな行動原則に従うことがいかに難しく、またそれがいかにすごいことかと感じます。
カツ代さんの人生は、これの繰り返しで、かつそれが「点から線になって」大輪の花を咲かせていったということがこの本を読むとよくわかります。
まとめ
10,000件以上あるカツ代さんのレシピの原則は、
- おいしくて、 早くて、 安い
- 特別な材料は使わない
- 食卓にはユーモアがないといけない
なんだそうです。
2人の子供を抱えながら、20代後半からめっぽう忙しく、50代で「料理の鉄人」で陳健一シェフに勝ったあたりからの絶頂期。このころ、すごかったよなぁ、露出が。
そんな中で、忙しい女性に優しい目を向けつつ、それでいて大阪人らしいユーモアを忘れないレシピをずっと考え続けていた人。
そんな過労が続いて、とうとうくも膜下出血で倒れ、なんと闘病生活は9年間。
その間に息子で料理研究家のケンタロウさんが大きな事故でやはり入院してしまいます。
でもカツ代さんにはケンタロウさんの事故のことは知らせないまま、76歳で逝去されました。
最期は少し寂しい気もしますが、タイトル通り、レシピは永遠に残ることが救いです。