先日、高校時代の同級生が6人、高知県への旅行の流れで、こんな端っこの四万十市まで訪ねてきてくれまして。
と書くとまあ別に珍しいことでもなさそうなんだけど、実を言うとその6人のうち、私が直接よく知ってるのは2人で、あとは在学中に数回しゃべったことがあるかないか。
要するに、「友達」と呼ばせてもらっていいのかどうか、悩む顔ぶれ。
そもそも、わたしは、自分の高校が別に嫌いでもないんだけれども、当時は特に好きとも言えなかった。
何せ立地が「高田馬場」。
東京に住んでいたって、ほぼ行く機会のない高田馬場。
一生に1度、発音するかどうかもわからないタカダノババです。
特に何もないところで(今は変わっていたらごめんね)、そして学校自体もやたら真面目で地味。
と言うと、華やかな自分が物足りなさを感じてたみたいな言い方だけど、実態はその逆で。
わたしはその地味な学校の中でもさらに地味な選択クラスに所属し、地味な部活動に勤しんでいて、なんならトップオブ地味だった自信がある。
なので、当時からそれほど友人関係も広くなかったのに、ここへ来てなぜか6人もの同級生がやってきてくれることになったのは、四万十パワーにほかならない。
それにしても、「みんなそれほど知らないけど、来てくれてどうなのかしらん」と思っていたんだけれども、来てみたらまあとにかく全員と話が尽きないし、ほんの少ししかし喋ったことのない人が、なぜかものすごく懐かしい。
そう、若い時の記憶というのはとても濃厚で、刻み込まれる深さが今とは全然違うのだなと、強く実感した。
これは「昔なんとなく買った株」の配当を思いがけず受け取った気分。
記憶の配当ともいうらしいけど、なんだろうこのありがたみは。
ここで、さらにはたと気づく。
なんせ、高校の選択肢なんていくらでもある東京である。
東京で高校が同じというのは、よく考えたらかなり奇跡的な縁でしかない。
そして、たぶんそのことに、高校生のときは誰も気づかない。
わたしの高校は男子生徒と女子生徒の割合が2:1という感じだったので、1学年400人程度のうち、女子生徒は150~160人だったはず。
そうか、この広い世界に、高校の同級生と呼べる女性は、たった150人しかいないんだ。
高校に通っていた時は、〇〇ちゃんは別のクラスだし、部活が違うし、グループが違うし、家の方向が違うし、と、小さな違いに目が行って、子どもっぽいいろんな壁を勝手に作っていた。
けれども、長い時を経て再会すると、もう「小さな差異」ではなく、「広い世界で、同時期に同じ高校を選んだわずか150人」という共通性のほうがよほど強い。
その証拠に、今は職業も家族構成も、そしてたどってきた歴史も何もかも違うけれども、何の垣根も感じずに話すことができる。
ついでに言うと、「地味で真面目」としか思っていなかった高校ではあるけれど、いざこうして卒業生としてのみんなの顔を見ていると、賢くて、堂々と自分の道を歩いてきた感じに溢れていて、それでいて尊大なところがない。
まぁちょっとこっちが恥ずかしくなるような、実はちゃんとした人々に囲まれていた高校生活であった。
この年になって、こんな感情や発見があるとは思ってみなかった!
気づくのおそ!!
といっても、急に「ありがとう、奇跡の150人よ」とかいって握手やハグを求めても気持ち悪いだけだと思うので、実際には何も言えないけど、やはり大事にせねばなるまい。
「年をとって良かった」と思える、数少ない1日(笑)。
ありがとう。





