思考

嫌いだったクラウドファンディング、ポルカで支援してみて感じたこと

こんにちは、nanami*です。

今年、自分にとっての新しい体験。
それは苦手意識というか、正直「嫌い」だったクラウドファンディングやポルカで、支援してみたこと。

CONTENTS

クラウドファンディングとポルカのカンタンな説明

もうそろそろ一般化してきた言葉ではありますが、ざっくりまとめます。

クラファン(クラウドファンディング)

クラウドファンディングとは・・・

クラウドファンディング(英語: Crowdfunding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語。

インターネットで、より多くの人(群衆=クラウド)に接触できるようになって、誰でも誰からでも資金調達を募ることができるようになりました。

スマホからだけ資金調達できるpolca(ポルカ)

ポルカは、株式会社CAMPFIREがリリースしたアプリのことで、一般の人々(クラウド=群衆)から資金協力を募るクラウドファンディングと違い、友人・知人間での送金・集金により資金調達をするものです。

フレンドファンディング、カンタンにいうと「友人からのカンパ」ですね。

少額(300円)から支援可能で、逆に目標金額も10万円までしか設定できないようになっています。

また、リンクを知ってる人だけが支援できたり、スマホアプリからしか使えないなどの特徴もあり、それなりの知識を持っていないとそもそも資金調達も協力もできません。

創設者は家入一真さんです。

なぜわたしはクラファン・ポルカが嫌いだったのだろう?

たとえば「災害復興のための」とか弱い立場の人を助けるとか、「文化財の補修」とかならともかく、

世界一周の飛行機代が欲しい!

とか

パソコン壊れたのでMacbookを買いたい!

など、個人的な目的のものを見ると

「働け」

と一喝したくなっていました。
おそらく、同じような感覚を持つ人も多いと思います。

そしてそれが社会人としてごくまっとうな感覚で、道義上正しくモラルもある考え方だと思っていました。

 

しかし、もう少し深く考えてみると・・・

 

クラファンが嫌いだったころは、今より収入は全然多かったけど、そのために相当激務だったんですよね。

だから「ラクしてお金を集めようとしている」人を許容できないという気持ちが実はとても強かった。

つまり、実は道義とかモラルの問題ではなく、単に

「わたしが苦労してるんだから、あなたも苦労しなさいよ!」

みたいに思ってたのかもしれません。

むしろ自分のほうが助けてほしかった(気持ち的に)。

でも、考えは変わってきた

でもだんだん、考えというか見方が変わってきました。

いまは収入も少ない上に大変なこともあるものの、基本は楽しんでお金を得ています。
だから「自分もみんなも楽しくお金を手にする」ことに抵抗がなく、むしろ嬉しいのかもしれません。

それに田舎に来てから様々な生き方、暮らし方をしている人を見て、

  • 生き方や価値観は人の数だけある
  • ゆるいつながりが救いになる
  • お金は巡り巡っているもの

ということを体感したときに、自然とクラウドファンディングやポルカのようなシステムも

「それはそれでアリかな」

と少しずつ思うように。

わたしが参加したクラファン・ポルカ

かつてはクラウドファンディングやポルカは内容も読まずに全スルーだったのですが、今年は3件支援しました。
金額は数百円から数万円までいろいろ。

内容は・・・

  • 廃業危機にある製材所を買い取り、引き継ぐための支援
  • 日本一周、原付とキャンプで旅行している青年のテントが壊れたのを支援
  • 家で地鶏を育てるためのヒナ購入を支援

金額の多寡はともかく、少しでも支援したら「共同作業者」になるわけで、やはり成行きが気になりますし、楽しみでもあります。

いまのところは知り合いばかりですが、そのうち、全然知らない人でもピンと来たら支援するかもしれません。

支援したことによる「リターン」はなにか?

わたしが支援したクラファン・ポルカは、具体的なリターンがあるタイプのものではありません。

なので「わたしのメンタル的な」リターンということになるのですが、それは、支援相手との「ゆるいつながりの発生」に尽きます。

オモシロいことをやっている人と「5cm距離が縮まった」、そんな程度のことですが十分ではないでしょうか。

クラウドファンディング、ポルカの社会への効果

クラウドファンディングやポルカの社会への効果として、

  • 支援された側がいつか支援する側になる
  • 人は「支援した相手」を好きになる

ということから、優しさや愛が社会にめぐっていく、ということが期待できます。

支援された側がいつか支援する側になる

人間には「何かしてもらうと、お返しせずにいられない」という気持ちが自然にあるそうです。

これ、「返報性の法則」と言うのだとか。

支援者に対してというより、自分もいつか誰かを助けよう、いわゆる「恩送り」「ペイフォワード」みたいな考え方が、支援された側には生まれてくることが期待できる。

これが繰り返されれば、希望的観測ですが、どんどん世の中にお金と優しさとがめぐって行くことになります。

人は「支援した相手」を好きになる

人間は何かしてあげると、

「この行為は間違ってないしムダではない」

と思いたがるもので、誰かに何かしてあげればあげるほど、相手を好きになるそうです。

支援したほうが、お金も愛も拠出するって一方的でソンなような気もしますが、
「好きな人が世の中にいっぱいいる」
というのは考え方によってはとても幸せなことです。

好かれる能力に目がいきがちですが、好きになる能力っていうのは実はかなり偉大なものだと思っています。支援によって、実はカンタンにその能力を向上させられるんですね。

とはいえムリに好きにならなくていいと思う

・・・とまぁこんな風にポジティブにとらえるような考え方を書きながら、ちゃぶ台をひっくり返しますが。

相変わらず「大学辞めました!お金ください!」というような人を見ると、「???」っていう気持ちになるのは事実。

クラファンやポルカは、素直に応援したいものだけ応援する。
理解できないものは、「遠くでお幸せに」と見ないふりでいいかなと。

全面肯定でもなく、全面否定でもなく、グレーにしておいていいこともあるかなと思ってます。