思考

【しまんと暮らし】石窯でパンを焼いてもらった!人生の”シェアとコラボ”を考える1日

こんにちは、ななみです。

カフェを始めてから一番良かったこと・・・

それは、人とのつながりが一気に増えたことです。そしてそこからいろんな「シェアとコラボ」が生まれてきそうなこと。

CONTENTS

石窯でパンを焼いてみることにしました

雨が降るとやや気持ちもどんよりしがちですが、今日はカフェの石窯で、「パンを焼く」という楽しい予定があります。

もともとは家主さんが趣味の「ピザ焼き」のために作った窯は、人が入れるそうなくらい大きい。

昨日はここでオットがコーヒーを焙煎していました。

こちらが完全手作業の焙煎のようす。

 

まだその窯のぬくもりが少し残る中、今日はパン焼きの会をやったというわけです。

主役は四万十市でやっぱりカフェをやっているMちゃん。

彼女のカフェはほんとに素敵。

【しまんと暮らし】海沿いの高台、カフェRuKuRu。優しいランチとスイーツ、そして店主。こんにちは、ななみです。 今日は地元で友人Mちゃんがやっているカフェ「RuKuRu」へ行きました。 彼女は、料理、お菓子、パンつくり...

とてもやわらかい雰囲気だけど、芯がしっかりしてそうなMちゃん。

ずっと飲食関係の仕事についていたそうで、パン焼きの腕に期待がかかります。

石窯はなんでもできる!

ところで、コーヒーの焙煎とパン焼きは、どっちも「薪」を使ってできるけれど、必要な温度が実は全然違うんですね。

コーヒーのほうは、180度~200度くらいでじんわりやれるのだけど、パンのほうは一度は300度くらいの高温にグワァ~っと上げて、窯全体をがっつり温めてから温度が少し下がりつつあるところで焼く。

火の調整は夫が慣れてるけど、パンは初めて。

((パンが上手く焼けないときのために、パン買っていこうかな・・・))

なんてこっそり考えていたけど。

(釣りに行ってボウズだったら魚屋で買って帰る的な)

結果はびっくりするほど成功。OMG!!

外がぱりっと、中がしっとりと。石窯すげぇ。

ぶっちゃけていうと、知ってる限りのたいがいのお店より美味しい。

Mちゃんすごい!夫の火加減もばっちりだったみたい。

わたしの作ったささやかなおかずや紅茶とともに、ランチにしました。

山暮らしの仲間たち

今日は「山暮らし」の仲間ももうひとり。こちらも若い女の子のRちゃん。

彼女は地域おこし協力隊で頑張っていて、すごい成果を出しているんだけど、いまから1年後の協力隊卒業を視野に、ナリワイを作るため行動を起こしている。

試作品のお茶。すでに「ちいさな木こり」ブランド化しているところがすごい。えらいよ!

めちゃかわいいな!こういうのに弱い。

お茶だけではなくて、炭、薪、キノコ、はちみつ、ミツロウ、etc

これからいろんなものを作っていくそう。山からの恵みは大きいんだなぁと改めて教えてもらう。

なんていうか、総じて言うと地方は女の子が元気

シェアとコラボで成り立つ田舎の生活

家主さんがよく言う言葉で

「これからの、特に田舎の生活は、シェアとコラボがなければ持続しない」

っていうのがあるんだけれど、本当にその通りだなと思う。

人間が少しずつ資本をシェアして、能力をコラボすると、田舎でも人が少なくても、経済圏が成り立つ。

パンつながりだと、先日のイベントでも同じようなことを感じました。

都会で消耗しているパン屋さん、田舎の可能性を見てほしい!こんにちは、ななみんです。 先日、元朝日新聞の記者・カメラマンで、高知に魅せられ退社してから、フリーのフォトグラファーとして活躍さ...

今日は5人集まったけど、家主さんが場所を貸してくれて、夫がコーヒーを淹れ、わたしがケーキを作り、Mちゃんがパンを焼いて、Rちゃんがお茶を売る。

するとこれでもう「ベーカリーカフェと物販」みたいになってるわけですよね。

ちょっとずつ、できることを提供する。

田舎の暮らしは、こうした小さなことの組み合わせでグンと豊かになったりします。

しかも、みんなできることがバラバラだから、より効果が高いんですよね。

人と同じ道、自分だけの道。人間はどこで分岐するんだろうか?

思い返すと、都会にいるときにはこの「みんなバラバラがいい」とは全然逆。

「みんなと同じ」でないととても不安があった。

同じようなモノを持って、同じところに行ってないと、置いていかれるような不安。

むしろみんな同じになっちゃうのはとても恐ろしいことなんだと今ならわかる。

今日一緒だったMちゃんやRちゃんも都会で育ったから、同級生の大半は「普通に」東京で会社員をしているはず。

もちろんそれが悪いというわけではないけど、そういう人たちと、自分だけの独特な道を若いうちから選んだ彼女たちと、何が違うのかなぁ、と彼女たちを眺めながら考える。

人間はどこで分岐するんだろうか?

その岐路を、意外とみんな気づかず通り過ぎるのかもしれない。目の前の彼女たちを見ていると、若いうちからその分岐点を見逃さなかった人たちはいいなぁ。と思うのでした。