こんにちは、ななみんです。
珍しくカタめの感じのお話ですが、「四万十川」と「原発」のことについてちょっと書き留めておきたいと思います。
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「水に沈む放射能」とは?
そもそもわたしがこんなことを考えたきっかけは、先日四万十市で開催された学習講演会「四万十川を守れるか~河川における原発放射能汚染を考える~」を聴いたことでした。
この講演会では、まず環境NGOグリーンピースのショーン・バーニー氏による調査結果「水に沈む放射能」のテーマの報告がありました。
グリーンピースは、福島原発周辺の中小河川の放射能汚染調査を行い、セシウムなど放射性物質が高濃度で堆積していることを検出したのだそうです。
http://mayors.npfree.jp/wp-content/uploads/2018/10/GreenPeace_20181027-compressed.pdf
細かいことは書きませんが、ひとこと。
放射性セシウムは森林や湖などに蓄積されて、海への放射性供給源となっている、ということがもっとも衝撃的な話でした。
そして、日本の土地の大半を占める森林は、いわゆる「除染」の対象にはなっていないということも。
放射性セシウムは長期間にわたり存在し、ゆっくりと移動し、陸地と淡水系に膨大に蓄えられていく・・・
ふと化学薬品乱用の恐ろしさを最初に告発したレイチェル・カーソンの「沈黙の春」というフレーズが思い出されました。
そう、破壊はつねに静かに進むということを改めて覚えておこうと思いました。
四万十川と原発(愛媛県伊方町)の意外な近さ
そして四万十川と原発ってあまり結びつかない感じがしますが、実は愛媛県にある「伊方原発」と四万十市は直線距離でいえば、市の境まではわずか50キロ、四万十市の中心・中村まででも80キロ。
地図上の移動では100キロですが、現実には50キロ圏内です。
正直、移住するときには全然意識してませんでした!
東京にいるときは、原発なんて他人事だったのです。
伊方町には行ったことがありますが、実にのどかな良いところでした。
そんな伊方原発が、この10月27日から再稼働しました。
もし伊方原発で事故があったら、四万十川にどんな影響があるのかというと、
四万十川は高知県の川と思っている人が多いと思うが、愛媛県の川でもある。
四万十市西土佐江川崎で本流と合流する広見川は、大半は愛媛県を流れる川である。広見川をさらに遡れば、三間川に続く。
三間川の源流部(宇和島市旧三間町)は、伊方原発から30キロ圏内である。
伊方原発で事故があり、30キロ圏内に放射能が降れば、四万十川は死の川になってしまう。
福島原発事故では四方に放射能が拡散した。地表に降った放射能はわずかながらでも除染作業が行われたし、雨が降れば放射能は時間をかけて一定流される。
しかし、流された水は川に注ぎ込み、水に沈み、沈殿する。特に、よどんだ淵の底に集中する。
(前四万十市長で現役ブロガーの田中全氏のブログ(『幡多と中村から』)より引用させて頂きました)
”伊方原発で事故があり、30キロ圏内に放射能が降れば、四万十川は死の川になってしまう。”
四万十川が上記の状況に陥れば、流域のなりわいのほとんどである
- 農業
- 漁業
- 林業
- 観光
のすべてが吹っ飛びます。これは流域すべてが「死ぬ」のとほぼ同じ。
福島の例を見れば、それが”ありえない”ことではないとわかる。
そんな身近な危機にみな無関心で過ごしているような気がします。
「今の」四万十川の素晴らしさをはっきり認識するべき
この講演の後半は、3.11を機に埼玉県から四万十市に移住し四万十川の川漁師になった黒澤雄一郎さんによる、「四万十川生態系の現状」のお話でした。
移住者で川漁師、釣り大好きな黒澤さんの話は、「四万十川を見て、いかに感動したか」「多様性に富む四万十川がいかに奇跡的な素晴らしい川か」という素直な気持ちを吐露したもので、とてもわかりやすく感情に訴えるものがありました。
黒澤さんは漁師として、四万十川の河口(すぐ海のところ)でアオノリを採っておられるのですが、大きな川の河口でアオノリが採れるなんて奇跡だ、と語っていました。
日本には大きな川がいくつもあるけれど、河口はたいてい工場地帯だったり、途中に大都会をはさんでいたりして、下流でノリが採れるようなところは他にどこにもない、と。
そして釣り人の意見でいうと、「こんな魚もあんな魚もみんないるなんておかしい!スゴすぎる!」のだそう。わたしは魚(釣り)に詳しくないけど
ところが!
こんな風に、特に都会の人間にしたら四万十川って「遠くてなんかすごいところ」という一種の憧れの場所なんですが、意外なことに、現地に住んでいると、ここに長く住む人ほど、四万十川についてネガティブなコメントを発することが多いことに気づきます。
(もちろん全員ではありません)
「昔はこんなじゃなかった」
「もっときれいだった」
「今の四万十川なんて全然ダメ」
「魚が減りまくった」
「支流はマシだけど本流は終わってる」
etc・・・
確かに、昔の四万十川はそれはそれはきれいだったはずです。
だからこそ、今の状態が悲しい。その、忸怩たる想いもとてもよくわかります。
今の四万十川を褒められると、むしろいやこんなもんじゃないんだよ!って言いたい気持ちもわかるし、また、いくばくかの謙遜もあるのかなとも思います。
ただあまりに「今はダメだ」と言われると、きれいだな、と思ってみている四万十川がだんだん悲しいものに思えてくる。それに言霊ともいうし、ネガティブなことは声にしてもあまりいいことはないと思う。
そもそも「昔はこんなじゃ・・・」って言っても、全国の川を「こんな」にしたのは、わたしも含め、人間ですしね。
だからこそ、黒澤さんのようにストレートな四万十川に対する感動は、ある意味「当たり前だけどとても重要な発信」だと思うのです。
黒澤さんも、ここに来てからわずか7年だけど、その間にもやはり川は良くない方向になっていることがわかる、とは言いました。
でもそれをふまえても、やっぱり今でも四万十川は、とても素晴らしいとも。わたしもとても同感で、改めて自信を持ってそう言おう~と思いました。
全国で唯一、「流域全体が重要文化的景観」に指定されている川
四万十川は全国で唯一、「流域全体が重要文化的景観」に指定されている河川です。
つまり単純に”自然が雄大だ~”というのではなく、沈下橋、棚田、伝統漁法など、自然と共生してきた生活から作りだされた風景が、評価されているのです。
ここに住んで3年目になりますが、見慣れても見飽きることのない景観であるのは、それが単なる風景ではなく、そこにしっかりとした「暮らし」が見え、与えられているものの大きさを感じるからかもしれません。
地元民であれ移住者であれ、「過去は良かった」と言っている場合ではなく、今ある四万十川の良さをそのまま受け止め、再認識することがとても重要だと思います。
その上で変えられるのは未来だけです。
ロジカル(論理的)とエモーショナル(感情的)の組み合わせ
ところで今回の学習会、前半のショーンさんの講演が「原発事故が川に与えうる影響」という調査結果をもとにしたロジカルなものであったのに対し、後半の黒澤さんの話は、フラットでかつ漁師、また(もともとは)よそ者ならではの視点で、四万十川への思いや現状をややエモーショナル寄りに語るものでした。
その視点の違いは内容に幅を生み出し、聴衆にあらゆる意味で「四万十川を守らねばならない」という気持ちをより強く持たせたような気がします。
この形は、人に何かを伝えるという意味でとても参考になりました。
ななみん’s VIEW
今回の学習会は、想定100人招集と思っていたところ、大幅に超えて約160人が押し寄せました。あわや立ち見?というような盛況。
主催者である田中全さんがおっしゃるに、「単なる原発反対というより、川を守るという視点に置き換えたのがよかったのだろう」ということでしたが、まさにそのとおりだと感じました。
こんな美しい場所を見れば、守りたいと思うのは当たり前。
今回は幅広い年代層から性別問わず集まったということでしたが、見回した感じではまだ比率的に若年層が少ない。もっと増えたらいいなと思います。
まずは、「ちょっと考える」でいい。わたしも四六時中考えているわけではなりません。でもゼロではない。みんながちょっとずつ考える、ってけっこう大きなチカラです。
若い人が、「四万十川のこと、伊方のこと、ちょっと考えてみよっかな」、ってなるようには、どうしたらいいのかなと思っています。