こんにちは、nanami*です。
先日、「移住の挫折」に関する記事を書きました。
この話をみんなで聞いているときにも、
「移住者が、不安な気持ちをぶつけられる場所があれば良かった」
「困ったときに、相談できる人がいればよかった」
という話が出てきました。
がしかし同時に
という言葉に、そこにいた全員うなずく、といった場面も。
わたし自身は移住3年目に入り、ホンネで語れる人が増えてきて本当に救われていますが、実はこの状態に至る前に挫折するケースが多いのではないかということ。
具体的にいえば、移住1~2年目の人が一番大変なのに、そうした人に限ってホンネを語れる場所が少ないということが問題です。
今日は、
移住者がホンネを話せる場所が意外と少ない問題
についてまとめてみたいと思います。
CONTENTS
なぜ移住者がホンネを話せる場所は少ないのか?
移住者がホンネを話せる場所が意外と少ないのには3つの「ハードル」があるように感じます。
1つめのハードル:話が勝手に広まることを警戒している
たとえば、軽い気持ちで
「暑い!地域の草刈りも大変だw」
などと言ったとします。しかしそれを聞いた誰かが、
「あの人、地域の草刈り、イヤみたいよ・・・出ていくんじゃないかしら」
と妙に深刻に言い換えてしまったりすると、印象が全然変わりますよね。
ましてそれがどんどん広まったりすると、厄介です。
これは話す相手が信頼できるかどうか、という問題ではないんですね。
話を伝えるほうは悪意はなくても、人の口を伝わると話が一人歩きしはじめて、当初の思惑とは全然違った形に代わるリスクがあります。
しかも田舎はコミュニティがどこかでつながっているので、地味にどんどん広がっていく。
結局、「言わぬが花」「沈黙は金」となってしまうところが、移住者が内に向かって閉じていくひとつの要因のように思います。
2つめのハードル:移住者というレッテルに抵抗がある
移住者のケアをするためにいろいろな「交流会」「相談会」などが置かれている地域も多数ありますが、実はそもそもそうしたところを避けたがる移住者もたくさんいます。
住む場所を変えただけで、自分の中身は何も変わっていないのに、まず「移住者」というグループに分けられて、そこがスタート地点になってしまうことに抵抗を感じる人は少なくないのです。
わたし自身は、移住者交流会や相談会は、人と出会うきっかけに過ぎないとわりきっています。出会いはお見合いだけどそのあとは恋愛に発展した、みたいな感覚ですね。
どこで出会っても、合う人は合うし合わない人は合わない。
ただ、こうした「移住者レッテル」を嫌うひとの気持もすごくよくわかります。
それはもう完全に先入観をもたらしますし、なんとなく同類相憐れむ的な集まりに感じてしまうところもある。
地方に来ると、「地元」か「移住」かが、まず一番わかりやすい人間の最初の区分になってしまうところが問題。それはまだまだ移住自体がマイナーな生き方であることから脱していない証拠のように感じています。
3つめのハードル:個人的な要素が多い
たとえば「大家さんとの契約条項でもめる」ようなオフィシャルな話であれば、役所や移住相談窓口など、公的な場所への相談もしやすいんですが、人間同士の感情のもつれなどはかなり個人的なこと。
隣近所や職場の〇〇さんとの感情的なトラブルを、市役所や県庁の窓口に相談というのも、イメージとしてぴったりきませんよね。
窓口の人も、地域の状況もよくわからず、ましてや〇〇さんに会ったこともないのに、アドバイスしようがない。
ただ移住者が本当に悩むのは、意外にこんなレベルのことが多い。
まとめ 「近くのリアルより、遠くのSNS」?
わたし自身も移住当事者として、「どんな場所ならホンネを話せただろう?」と考えてみたのですが、いまだに「あのとき、あの人(あの場所)に話せば良かった!」と思いあたりません。
近くのリアルより、遠くのSNSのほうが気楽なときもあるくらいです。
今後も増えてくるであろう移住者をいかに定住者にするか、ホンネを語れる場所の重要性は高まってくるように感じます。