こんにちは、ななみです。
最近、SNS等を経由して、移住に関するご質問を頂くことが増えてきました。
コロナが要因かもしれませんが、移住に関心を持って頂けるのは嬉しいです。
今日はその中のひとつにお答えしますね。
40代移住者だからこその「親(実家)」への考え
をお聞きしたいです。
というもの。くださったのは、東京在住の40代の女性のAさんです。
Aさんは、都会から地方への移住をご検討中。
でも、お父様が他界されて、ひとりになったお母様を置いて自分が移住して遠くへ行ってしまっていいのかとためらわれているようです。
今日はこのテーマを考えてみたいと思います。
ちなみに、こうして質問を頂けると、記事の題材ができるのでありがたいです(^^)
CONTENTS
40代からの移住の悩みのひとつは、「親」
「移住と親との関係」。
実をいうと、これは40代以上から移住する人々の、ほぼ共通の悩みというか、みんなそのあたりを乗り越えてきていると言っても過言ではないかもしれません。
自分が40代になれば、親は70代くらい。
まだまだ元気なんですけども、やっぱり子どもとしては少し心配になる年代です。
ふだんはいいけど、何かあったときに(たとえば、家の中のちょっとした修理とか、通院のときに運転してあげるとか)子どもとしては助けてあげたいなと思っています。
そんなときによりによって地方移住・・・
これ、めちゃくちゃ親不孝のわがままじゃない?
・・・って、思ってしまうものです。
本当に悩みどころです。
しかも、このことについては、
- 親との関係性
- 親の性格
- きょうだいの有無
- 親の経済力
など、変動要素も複合的です。
ひとつひとつのケースが異なり、模範解答を導くのはけっこう難しい。
移住に際しての、うちの親の反応
ところでわたしたち夫婦に関して言えば、どちらの両親とも、移住するにあたっては大きな反対はありませんでした。
オットの両親は、子どもに依存せず夫婦で楽しく過ごしていて、応援はしてくれるけど干渉はしないという、これはマジメな話、本当によくできた親だと思います。
うちの両親はどちらかというと、昔からわたしは「止めても聞かない」ので、もう諦めがあるという感じで。
また、わたしには姉がいて東京に在住しているので、ちょっと安心できる部分があります。(一応兄もいるんですけど、あまり機能してない)
だからこの点については、恵まれたほうなのかもしれません。
「移住と親の問題」、本質はなに?
ただ、この”移住と親の問題”の難しいところは、「親が移住にOKならいいか」といえばそうでもないところなんですよね。
わたしが思うに、この問題の本質は、
「親を置いて移住することについて、自分が一番自分を責めてしまう」
というところなのです。
わたしもそうだったのですが、誰かに明確に「親御さん可哀想に・・・」など責められたわけでもないのに、自分で自分を「冷たいんじゃないか、無責任じゃないか、親不孝ではないか」と思ってしまってけっこう悩みました。
むしろ「反対する親を説得する」ほうが、なんかゴールが見えやすくていいんですよね。
自分で自分を責めるというのは終わりがないから大変です。
しかもわたしの場合は、自分に子どもがいないので、今一つ「親心」みたいなものがよくわからないというのも、負い目でした。
親がいいよ、って言っても、「いや、本当は、親って生き物は、こんなこと思ってんじゃない?」とか勝手に忖度しだして、本当に無間地獄ですよね(笑)
「親のそばで孝行」が美徳、という情緒を整理する
さて、この「移住して親から離れることについて、なぜか自分が自分を一番責める」というナゾの感覚。
自分でも不思議に思って、いろいろ考えを整理してみたんです。
その結論として、やっぱりまずは「美徳の刷り込み」が大きいと思いました。
日本を含めアジアの国って儒教の影響なのか、そういう「忠孝」(主君と親への孝行)が尊いみたいな感覚や、美意識があるじゃないですか。
そして孝行といえば、近くに住んで、しょっちゅう孫の顔を見せる、みたいな。
でも欧米なんか、18歳くらいで親が子どもを追い出しますし、テレビで見たホッキョクグマは2歳で親離れさせられていました。
まぁクマは関係ないんだけど、ともかく親孝行に唯一の基準なんてない。
共通だと思っているのは、刷り込みに基づく幻想なんじゃないでしょうか。
そして、さらによく整理してみます。
仮に日本的情緒が「アリ」だとしても、これってそもそもすごーく昔の話。
日本人の寿命が60歳にもならない時代です。
それなら親が他界するころ、子どももまだ20~30代。
まぁなんとか親を見送るまで、そばで孝行尽くすか。と思ってもいいかもしれない。
つまり昔は親って、そんなに長く生きているもんじゃなかったから、こういう考え方も成り立ったような気がしています。
でも今は、日本人は100歳近くまで生きるのも当たり前になりました。
70代の親を置いて行かれない・・・ってなると、そこから親が突然若返ることはないので、100歳まで生きたら、子どもは結局、自分が70歳とか75歳まで、親孝行や忠孝に縛られて生きることになります。
そう考えると、この感覚がいかに時代にそぐわないかわかってきます。
親子関係は、親が元気なうちに自立させる
そもそも日本では、年金だけでは暮らせない人が多いとか、高齢者だけでは賃貸住宅を借りられないとか、「子が親を近くで助ける」前提で福祉が設計されているような、そんな致命的な問題もあります。
こういった回避できない事情もある上、親孝行の美徳に縛られて、情緒的に親子が相互に離れるタイミングを失ってしまった結果、起こっているのが老老介護といった社会問題です。
親が本気で弱ってしまう段階になると、本当に移住どころか、離れられなくなります。
タイミングって、つくづく重要です。
なので、とにかく現代の親子関係は、特に親が健在なうちに、早めに互いに自立したものにするというほうが、現状には合っていると思いますし、それがむしろ親の健康寿命を延ばすんじゃないでしょうか。
「親子共倒れ」になったときに、そのマイナスの影響を強く受けるのは、より長く生きる子どものほうなのです。
それでも、親がひとりになったら?
ただ、こうやって今のところ冷静に言えるのは、うちがまだ「両親ともに健在」であり、「きょうだいが親のそばにいる」からだとは思います。
たとえば、両親のうちどちらかがひとり亡くなってひとりになった上に、きょうだいが転勤で遠くに行かざるを得なくなった、そんなことも想定することもあります。
最近、移住した子どもが、親をその移住先へ呼び寄せて同居する、「親呼び寄せ移住」も珍しくないですが、うちの場合、親を高知に呼びよせるというのは親子双方にとってストレスでしかなさそうで・・・。
たぶん、残された親が一人暮らしをしたまま、きょうだいが交代で帰省する、ということで落ち着きそうです。
そういうときは、多少遠距離でも子どもがいなくて自由の利く自分たちが、きょうだいよりたくさん帰れるのかもしれません。
このように、「その事態に陥った時点での最善策」を常に考えるようになりますから、やはり少しでもよい状態のうちに、移住なりなんなり、やりたいことはやったほうがいいように思うのです。
そういう意味で、わたしは”移住の適齢期”を訊かれたら、「適齢期はないけど、親のことを考えたら少しでも若いうちがいいかもしれない、親もその環境に慣れる時間が必要だから」と言っています。
まとめ
色々言いつつも、根底のところには
という思考回路があります。
もちろん、色んなことを飲み込んで、歳をとった親のもとに居続ける人、また、離れていた親元に帰っていく人もいます。その選択に否定すべきところは一点もありません。
ただ、これからも少子化が進むであろう中で、実子だけが親を看るというのを全員固定の概念にするのは無理があります。無理というのは、継続性がないということです。
わたしたちは、田舎に来てから、周囲に高齢者が非常に多い環境になりました。
基本は、親に接するのと同じ。若い力が必要な時は、助けたいと思います。
まぁ田舎の高齢者がすごい元気で、実際はこっちが助けられるほうが多いですが・・・
まわりまわって、東京のわたしたちの親のそばにいる若い人が、うちの親たちに優しくしてくれるといいんだけど・・・
実はそういう気持ちというか、祈りみたいなものがあります。
実の親子だけがべったりしていて解決できることは少ない。
親子もシェアの時代なんじゃないかと思います。