こんにちは、ななみです。
先日、「今年は”農”を暮らしに取り入れよう」という話をしました。
そしてその流れで、「食べること」そのものを考え(直し)ているこのごろ。
たとえばこの間は、オンラインで「国際有機農業映画祭」というものを視聴してみました。(今年は終了しています)
『単に有機農業や食の安全といった問題にとどまらず、自然と人との関係の在り方やそれを支える価値観、社会のつくり方といったところまで視野を広げ、”思想としての有機農業“を考える構成をめざす』
といった内容で、2007年から毎年開催されている映画祭で、毎年数本のドキュメンタリー映画を観ることができます。
今まで知らなかったんですけど、「思想としての有機農業」というところにちょっと惹かれたんですね。
わたしはがっつり農業というナリワイをしたいというより、ライフスタイルとしての”農”を考えたいところなんです。
今年の上映内容の例。「支配」とか「裏」とか「革命」とか、タイトルはまあまあ強めなのが特徴です。
今年はコロナの影響でオンライン上映です。コロナ、地方在住者にとっては、ある意味で利便性をもたらしています。
この映画祭で見たいくつかのドキュメンタリーに共通しているのは、
人間の「肉食」が進む
↓
家畜を殖やす
↓
餌になる飼料が必要
↓
大豆やとうもろこしなど
大規模単一栽培に向かう
(小規模の有機栽培農家などが圧迫される)
↓
大量生産のために
肥料と農薬を使う
↓
環境が破壊される
という流れ。
さらに付随して、
● 飼料を作る畑の確保のため、森林が伐採される
● 大企業や大規模農家が水を独占
なんてことも多々起こっています。
そもそも、肉を1kg生産するのに、どれくらいのエサが必要だと思いますか?
あまり考えたことないと思いますが・・・
正解は、鶏肉=4kg、豚=7kg。牛に至ってはなんと11kg。
たとえば牛肉1kgって、せいぜい3人くらいしか満腹にならない量。
つまり11kgの穀物を使って、3人しか満足させられないということ。
しかし仮に、その牛を育てるための穀物を、飼料とせず、そのまま穀物として人間が消費したらどうか。穀物11kgあれば相当な人数が養えるはず。
これは、大きく見ると、先進国の3人の肉食をまかなうために、途上国で多数の人が飢えている、という見方もできる。
フードロスと飢餓が同時に起こるという矛盾はこうして発生するんだな。
また牛・豚・鶏などの家畜そのものも、「短期間で大量に」肉にするために、工業製品のように劣悪な環境で飼育されている現状。
要するに、環境を壊しながら「工業製品みたいな飼料」を作り、それを与えられた「工業製品みたいな食肉」を作っている。
こうして見てみると、結局「世界の困難は、みーんな肉食のせい」というメッセージに聞こえなくもありません。
もちろん、映画が伝える情報は完璧ではないし、どうしたって偏りもあるでしょう。
でも「肉食が多いこと」が世界全体にとって良くないということは体感としてわかります。
そもそもお肉って安すぎますよね。
たとえば安価と言われる鶏のむね肉。
国産で100g50-60円、ブラジル産になると100gで30円台とかあります。
でも冷静に考えて、地球の裏側からやってくるのに100g30円ってあまりにも安い。
肉食の矛盾を考えると、ウツになりそうです。
とはいえ、オットもわたしもお肉は大好き。
「じゃ明日からベジタリアンで」というのは正直無理・・・
なのでオットと相談して決めたのは、
「お肉を頂くなら、量より質」
ということです。手の届く範囲で、なるべく誠意ある生産者さんのお肉を買う。
そういうことで、多少なりと「きちんとしたやり方」をしている畜産業の人のほうを応援したいと思います。
しかし、最終的には「肉を食べる」ことがどこまで”罪”とか”悪”とかいうべきことなのか、正直わからないんですよね、まだ。
実際、安くたくさん育った肉がないと、全く肉が食べられないという環境にいる人もいるはずだし、畜産で暮らしている方もたくさんいるし。一面では語れない問題です。
それに「じゃ天然の魚ならいいの?養殖はだめ?たまごはセーフ?」とか出てくると、もうワケわからなくなってきます。
ひとまずは
① 起こっている状況から目をそらさず、まず認める
② 自分にできることから変えてみる
ということが重要なのかなと感じています。
考え始めたので一歩前進。