いやー、久々にもう濃すぎる人間の話を読んで、いい意味で、胸やけがするほどでした。
500ページの大作、朝井まかてさんの「ボタニカ」。
この本を読了して、もっと多くの人に、主人公の牧野富太郎について伝えたい!と感じ入っています。
特に、「好きを仕事にしたい」と渇望する人々に。
改めて、マキノトミタロウ。
たぶん、多くの人が「あー、確か有名な植物学者の」と思うはず。学校で習うからね。
日本の誇る、偉人ですよね。
でもね、この本を読むと、
本当に我々が知るべきなのは、この人の
「奇人」「変人」「鉄人」(一言で言うとヤバイ人)
たるところではないか・・・と思ってしまう。
わたしも、「ボタニカ」を読んで初めて、
と心底驚き、ところどころ呆れ、そして感動した。
2023年のNHK朝の連続テレビ小説「らんまん」、楽しみすぎるな~!!
改めて、牧野富太郎。
幕末、高知県の裕福な造り酒屋に生まれる。幼いころから無類の植物好き。
賢い子であったが、つまらないという理由で小学校は中退してしまい、その後の人生においても、学歴、権威に一切興味を示しませんでした。
小学校卒業ですらない!最終学歴、寺子屋・・・
とはいえ、やっぱり賢いんですよ。
22歳になると上京し、特別に東京帝国大学に出入りを許されて研究に没頭するようになります。
牧野富太郎=イケメン、という評判は高い。
初めはみんな「田舎の勉強熱心な若者」を可愛がってくれるんです。
しかし、富太郎は、大学の秩序や序列、完全無視!
やばい!
大学って、教授に忖度して、媚びてナンボなところがありますよね。
昔ならなおさら。
そんなこと全くしないどころか、バンバン研究成果を挙げちゃうものだから、やがて妬まれて、嫌われて、追い出されるわけです。
男の嫉妬は怖いね。
とはいえ支援者の尽力で大学に呼び戻されたりします。
でもまた別の教授に嫌われるという・・・
加えて、学歴、学位がないので、どんなに優秀であれ、いつまでも身分は助手のまま。
つまり、まともな給料がもらえる職につけません。
そこで赤貧に耐えて倹約生活を送るかと思いきや、そこがやはり高知の大ざっぱなボンボン気質が全開!
「研究には金がかかる」(←正しい、とは思う)が口癖で、書籍や植物採集旅行にお金をつぎ込むことはなんとも思わない。
所詮、カネはカネに過ぎない。と言い切る(それは名言である)
しかし、その借金の総額は、月給の1000倍に至ることさえあったというんですが・・・
冷静に考えると、たとえば月給30万の人の1000倍って3億円なんですけどね。
初めは裕福な実家の資産に頼っていたものの、それはかなり早い段階であっさりと食いつぶしてしまいます。(ほんとにいるのね、こういう人)
”もう死ぬしかない”というくらいの貧乏に追い詰められることもあるのですが、でも「捨てる神あれば拾う神あり」って事実なんですねー。
この状況に同情し、その研究を評価する支援者や篤志家が現れて、借金をすべて払ってくれる。そんなことが少なくとも2回はあったわけですよ。
しかし、何度借金をチャラにしてもらっても、「収入よりたくさんのお金を研究につぎ込む」のは変わらないので、結局彼はずっとお金には困っていたようです。そりゃそうだ。
一方で、妻もいて、子どもも13人(うち6人は夭折)という子だくさん。
貧乏人の子だくさんていうけど、なんかスケールがいろいろ大きすぎ。
牧野富太郎本人は96歳まで生きるのですが、筆舌に尽くしがたい苦労をされた、12歳も年下の奥さんは55歳の若さで亡くなります。
そりゃそれだけ苦労すれば早死にするわよと、奥さんに代わってちょっと恨みたくなるんですが、でもこの奥さんは、文句らしいことも言わず、40年も支え続けたわけです。
むしろこっちが偉人だよ。
やっぱり明治の女は違うわとも思うし、牧野富太郎にはそれだけの魅力があったのかも、とも。
永遠の少年。好きなことに没頭する姿に、「道楽息子が1人いる」と言って支え続ける奥さん、できそうでできない(いや、できなそうでできない)。
机上の学問よりも、フィールドワークを重視した牧野が、生涯で集めた植物標本は40万枚、名付けた植物は1,500種類。
多すぎてワケわかりませんが、計算してみたら、1日10枚毎日欠かさず標本作っても、40万枚になるには104年かかります。
ちなみに牧野富太郎の特筆すべき能力については、その画力も見逃せない。
なにせ植物画が天才過ぎる。
イケメン画家で売ったほうがよっぽど儲かりそうなのに。
そしてもうひとつ牧野が重視したのは、植物の魅力を一般の人に伝えること。
講演会、観察会、出版など、今で言う「発信」をとても熱心に行っていました。
子どもでも、素人でも、植物のことなら、分け隔てなく気さくに話したと言います。
皮肉なことに、それも、大学のお偉い教授からは良く思われなかったひとつの原因なんですよね。
まぁ、高知の男性はおしゃべりだから(笑)
牧野富太郎は、そういうコミュニケーションが心底楽しかったんでしょうね~
集めた、描いた、伝えた。
そんな牧野富太郎の人生は、一言で言えば「苛烈」。
「好きを仕事にする」ことに憧れる人は多いけれど、牧野富太郎の人生を見ていると、その厳しさがしみじみわかる。
本当に純粋に好きなことを追い続けるためには、いくつになっても情熱を切らさないことが最低条件。その上、苦労・覚悟・挫折、色んな事がセットでやってきて、しかもそれが一生終わらない。うー想像しただけで疲れる!
牧野富太郎の思考も行動も、一般的な日本人のスケールでもないなとも思いました。牧野と同時代には南方熊楠がいる。少し前には坂本龍馬が活躍している。ケタ外れの人が多いのは、時代も関係しているんでしょうか。
牧野富太郎は確かに植物学の天才的な学者ではあるけれど、学校で教えるなら、この人の業績だけではなく「生きざま」を伝えるほうがよほどタメになるのでは???
好きを仕事にしたい、と思う人は、その道のりの厳しさも、その素晴らしさも、牧野富太郎の人生を通じて知ることができる。ぜひ一読を。
牧野富太郎を知りたいなら、やっぱり牧野植物園が一番!
高知県立牧野植物園公式サイト
訪問記
【高知情報】雨でもOKな牧野植物園。植物学の巨人・牧野富太郎記念館は必見です
高知まで行かれん!という方は、東京にも関連施設あります。
牧野記念庭園