ミーハー、最近あんまり言わないかな?
ともかく「ミーハー=流行や話題の事物にすぐ飛びついた」りすることは、どちらかというと皮肉っぽいニュアンスがあるけれど、それは=「好奇心旺盛で、しかもタイミングを逃さない」と言えなくもない。
と、思い始めたこのごろです。
というのも、わたし自身がもともと「ミーハー精神」が乏しく、世の中で話題になっていることがあっても、ピンとくる感性が薄い。
ま、はっきりいえば、面倒くさがりなだけなんだけど。
例を挙げると、E.T.もスターウォーズも、公開当時は小学生だったわたしが、実際に初めて見たのは公開されてから30年後、なんと40代だった。おそ!!
「いいものは、いつ見てもいいはず」と思って放置していたのだけど、さすがに30年経つと、古さを感じてしまう。当たり前。
バックトゥザフューチャー2に至っては、内容が「1985年から30年後の未来である2015年に飛んであれこれ~」が売りなのに、2018年に見てもなんなんだか。
ふと思う。これらが初公開されたときにすぐ見ていたら、などと。
子どもで、まだ理解できない部分は多々あったであろうけれど、もっとみずみずしい気持ちで、作品世界を素直に受け止め、自分なりに何かを感じていたはず。
それが「成長」ってもんのひとかけらなんじゃないのか。
そんな反省から、「国宝」は公開から3日目に見に行ったので、やっぱりそれは良かった。
メディアやSNSで量産される評価や感想に影響される前に、他人のフィルターが知らないうちに目を覆う前に、「クリアな目」で見ることができた。
と、ここまで映画の話ばかりになってしまったけれど、それは特に映画に限った話ではなくて、衣食住全般、そして旅や読書、すべてに通じることだと思っていて。
良いものはいつ経験しても良い、それも正しいんだけど、わたしが見落としていたのは、時代も、環境も、そして何より、自分自身が変化してしまうと、同じものを見ても同じインパクトは受けられないということ。
一言でいえば、どんなものごとにだって、旬がある。
「自分にとってやるべき旬」を逃すことは、せっかく芽を出した「好奇心」という花を枯らすことに等しい。要するに成長の機会を逃している。
もちろん何か1つを「見た」「行った」「読んだ」くらいで人間が劇的に変わるということはないと思うけど、「それをした自分としなかった自分」の間にはどんなく小さくても必ず差が生まれる。
人間を作っているのは、こうした小さな差の積み重ねであるから、その差を無視してはならないと今さら思う。
好奇心も歳をとる。
若い時は何もしなくても内側からエネルギーや好奇心がいくらでも湧いて出てきたものだけど、年を重ねてくると、どうもその辺りも意識してメンテナンスしたり、補充したりしなければならないらしい。
うまく年を取るというのはなかなか難しい。





