田舎ライフ

自分の「地元」「ふるさと」がキライだった理由

こんにちは、ななみんです。
年末になり、帰省のシーズンですね。

唐突ですが、みなさんは生まれ育った「地元」「ふるさと」が好きですか?

わたしは、ずっと好きではありませんでした。いや、はっきり言うと、嫌いでした。

最近、思ったことをまとめます。

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「高級住宅街」のもうひとつの顔

わたしの出身地は東京都世田谷区。

世田谷は、「高級住宅街」とか「有名校が多い」とか、良いイメージの多いところだと思います。そして、イメージ通りの場所もたくさんある。

でも、実は違う一面もあるのです。

世田谷区はもともとは田畑が広がる田舎だった場所なので、すべてが「市街地」になりきってないところがあります。

たとえば、

  • 最寄駅と呼べる距離に、駅がない
  • バス便も1時間に3本くらいしかない
  • 商店街がない
  • コンビニが平成の中ごろになってやっとできた
  • 夜になると人の影が全く見られない

そんなぽっかり空いたブラックホールみたいな地域が、実は世田谷にはポツポツ点在しています。

そして、わたしが生まれ育ち30年を過ごしたのも、そんなブラックホールのひとつでした。もちろん、高級住宅街でも何でもないです。

暗黒の想い出しかない「地元」「ふるさと」

わたしが暮らしたエリアといえば・・・

駅までは、急坂を上がって徒歩25分。
そこまで行かないと、まともな店一軒もないので、行かざるを得ません。

人が少なすぎて、周辺に公園や公共施設はほぼゼロ。
小さなよろずやと、食堂が1軒あるのみ。

子どもの足は、徒歩か自転車。
通学するにしても、大学生からは原付で通いましたが、雨の日はずぶ濡れ、雪の日は転倒、冬は凍りつき、夜はぶっそう。

危険で、みじめ。

それが「地元」「ふるさと」というと、真っ先に想い出されることです。

 

いっぽう、駅に近い「坂の上」はというと、そこにはみんなが想像する世田谷らしい、瀟洒な住宅街と商店街が広がっています。

わたしの住むブラックホールとの格差が、歳を重ねるにつれて痛切にわかってきました。

高校に入るとなおさらです。
同級生で「駅まで軽く30分」なんて人はほとんどいません。
みんなごくふつうに、東京らしい便利な暮らしをしているのに、なぜ自分だけはそんな妙なところに住んでいるのだろう、なぜ駅すら与えられていないんだろう、と哀しくなるばかりでした。

もちろん、家族や学校、友人とは良い想い出もたくさんあるのですが、そうした記憶をすべて消し去るほど、その土地が持つ不快さは強烈だったのです。

だからふるさとと呼ぶべきその「世田谷のブラックホール」に郷愁など持てるはずもなく、離れたときには心底ほっとしました。

結局、両親がそのあと転居して実家自体が別の場所になったので、もう帰ることすらなくなったのですが。

「ふるさとが嫌い問題」の根源は「場所そのもの」ではない

ただ、四万十市に越してきて気づいたのです。

ここも、空港から2時間以上離れているし、市内の公共交通機関もほとんど使えないほどの場所です。

なのに、わたしはそれについては特に不満も不便も感じていません。

「四万十市より世田谷区のほうがいいでしょう!」という人が多いけれど、わたしにとっては全然そんなことはないのです。

なんでだろうと、我ながら不思議にも思うのですが、たぶんそれは、

自分で選んだ場所だから
自分で不便を解決できるから

だと思います。

ここはわたし(たち夫婦)が自分たちで選んだ場所だし、オトナとなった今では、クルマを使ったりネットを使ったり、不便に対しても色んな解決方法があります。

 

でも生まれ育つ場所は選べません。

 

子どものころは、「与えられた環境」に耐えるしかない。
子どもが自分で改善できることには限界があります。

わたしも、そしてわたしの友人で、「地方出身で地方嫌い」の人たちも、おそらく故郷がキライだったのは、そういうことが理由だったなんじゃないかと想像します。

本来感じられるべき場所の良さも何も、「押し付けられている」と感じると、見えなくなってしまう。

単純に言えば、四万十市に生まれていたら、今ほどここが好きではなかった可能性もあります。

そう考えたら、あのブラックホールにも本当は良いところがあったのかもしれない。
最近、そんなことを感じるようになりました。

川に育てられた記憶

ブラックホールのすぐ近くには、多摩川という大きな川が流れていました。


わたしが小さいときの記憶は、多摩川と結びついたものがとても多いです。

走ったり、転んだりしました。
犬を散歩させました。
巨人軍が練習していました。
父は兄を叱るとき、河原に連れて行って星一徹みたいなことをしていました。
なんで川のそばに住んでいる人がいるの?と親に尋ねました。
18時以降はヘンな人が出るから行っちゃダメと言われました。
桜を見て、お弁当を食べました。
夏は花火を眺めました。
川沿いを走るバスに乗ると、ワクワクしました。
子どものころは公害で汚い川だったけど、オトナになるころ少しマシになりました。

もちろん川漁や沈下橋などなく、四万十川のように豊かな「川の文化」があるわけではありません。
それでも、子どもがすべき色んな経験を川が包んでいたような気がします。

ブラックホールに何か良いことがあったとすれば、「川」だったかもしれない。

わたしが四万十川のそばを、ほとんど迷いなく住むべき場所として選んでしまったことがそのまま答えかもしれません。

ななみん’S VIEW

今でしたら、あの世田谷のブラックホールでも、幸せに暮らす自信があります(笑)

大人になって自分が「決断力」「解決力」を持ったのもその理由ですが、もう一つ絶対的に大きいのは「時代の変化」です。

飛行機は安くなり、高速道路は延伸され、日本は狭くなりました。
スマホで誰とでもつながり、どこにでも店は増え、なんといってもインターネットが発達しています。

自分x時代が変化しているので、故郷で暮らす感覚も、感触も、子ども時代のそれとはまったく別になっているはずです。

地元、田舎は好きじゃない!と思っている人も、「今ならちょっと違うかな?」と考えながら帰省することもあればいいなと思っています。