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カフェで出会った、文庫本を読む男性
先日、東京に上京したときのこと。
蔵前にある「蕪木」という、それはそれはシックで雰囲気のいいカフェに立ち寄りました。
ここは、黒潮町で書店を開いているリサちゃんにおすすめしてもらった店。
店主の蕪木さんはこんな本も出されている。
2階の店内には、広めのカウンターと何席かがある。
カウンターには、私たち夫婦と、インバウンドらしき外国人女性のグループが3人。
そして奥の方には、ひとりの若い男性が座っていた。
その男性は長い髪をざっくり束ね、指にはゴツめのリング。
サラリーマンというよりは、アパレル関係か美容師さん、あるいはIT系の人だろうか。
そんなスタイリッシュな雰囲気の男性だった。
そしてその手には、1冊の文庫本。
ブックカバーがかかっていたので内容まではわからなかったけれど、その姿になぜか惹かれた。
スマホじゃなくて、文庫本を開くということ
普通なら、こんなとき多くの人はスマホをいじっているはず。
それなのに、文庫本を手にしているだけで、なぜかやたら知的で魅力的に見える。
同じ本をスマホで読む人もいればタブレットで読む人もいるはずだけど、紙の本を読む仕草には不思議な魅力がある。
このカフェのレトロで温かみのある空間には、彼と文庫本の組み合わせが驚くほどよく似合っていた。
顔をしっかり見たわけでもないのに、なんとなく「かっこいいな」と思ってしまった。
電車の車内でも感じる、同じ魅力
同じようなことを、私はときどき電車の中でも感じる。
車内のほとんどの人がスマホを見ている中で、たったひとり文庫本を開いている人。
しかもそれが一見チャラい感じの服を着た若い男性だったりすると、思わず見入ってしまって、あぁ太宰だったりしたらいいなぁ~と妄想する。
ようは勝手なギャップ萌えというやつなんだけど、その中でもかなり麗しい部類なのではないだろうか?
久しぶりに文庫本を手に取る
その数日後、まだ東京にいる際に、オットが駅でふと文庫本を購入した。
と。
そうだなぁ、こうやって気軽に試せるのもワンコインの文庫本の良さだよなぁ。
以来、私も久しぶりに文庫本を手に取ってみた。
最近は電子書籍ばかりで、Kindleやタブレット、スマホで読むことも増えていた。
でも、久々に紙の本を開くと、まずそのやわらかなクリーム色の紙が、目に優しく感じた。
ページをめくる音、紙の手触りが、落ち着くというより「懐かしい」レベル。
わたしの原点は「赤川次郎の文庫本」
私の文庫本の原点は中学生の頃で、赤川次郎氏の作品を次々に読み漁っていた時代だ。
ちなみに当時の赤川次郎氏は、確か長者番付のトップになるほど人気絶頂で、どの本を読んでも面白かった。
ミステリーがメインなので殺人事件は毎回(?)起こるのだけど、残酷なシーンは絶対になく、さらりと死体が転がる不思議な文体で。
さらに、色気のあるシーンも皆無なので、中学生が安心して読める上品さがあったと思う。
ちなみにミステリーとは違う系統で、これも赤川氏です。
赤川氏は多作で知られた作家だったので、次から次へと刊行されるのだけど、当時の文庫本は300円台から高くても500〜600円ほどだったので、中学生でも月に2~3冊は買えたのが良かった。
毎月少しずつ増えていく「赤川ライブラリー」を眺めてご満悦。
大人になってからは単行本も買うようになったけれど、久々に文庫本を手に取ると、昔より文字が少し大きく感じるし(高齢者への配慮かな?)、その軽さが心地よい。
そして何より、やっぱり目に優しい。
電子書籍もいい。でも、文庫本には“今ここ”がある
もちろん電子書籍にはとてつもない便利さがある。
旅先に何十冊も持ち運べるのは、紙の本にはできないことだ。
でも、どこかの喫茶店で「今日はこの1冊だけを読む」と決めるような時間には、やっぱり文庫本がいいなと改めて思った。
わたしのような集中力のない人間は、電子書籍だとつい途中で何か検索したり、別の本に浮気したりしがちなんだけれど、紙の本は“今ここ”だけに引っ張り込む力があるような気がする。
今日は本屋へ行ってきます
今日は休み。
これから久しぶりに書店へ行って、文庫本を眺めてみようと思う。
あの彼のマネをちょっとしてみようかな。












