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「本を借りるように読む」を推奨するメルペイへの勝間さんの怒りについて思うこと

こんにちは、ななみんです。

先日、経済評論家の勝間和代さんのこんなブログ記事が目に止まりました。
タイトルの長さから怒りがうかがえます。

「メルペイ。青柳直樹代表取締役は、「新しい本を『借りるようにして読む』という、メルカリとメルペイならではの体験を届けられる」と話す、という記事に対する意見。著者及び出版社への敬意がまったくないと考えます。不愉快です。」

メルペイが始めた新サービスと中古本の関係

まず前提として、起こっていることはこんなことです。

  • フリマアプリのメルカリが、メルペイというスマートフォン決済サービスを始めた
  • メルペイは、実店舗で使える、「後払い」システムを導入しているのが特徴
  • 「書店で、メルペイ後払いで本を買う。読み終わったら即座にメルカリで売却し、その売上金で代金を支払う」といった使い方を想定している
  • 同社の青柳直樹代表取締役は、「新しい本を『借りるようにして読む』という、メルカリとメルペイならではの体験を届けられる」と明言している

つまり1500円の本をメルペイの後払いで購入し、読んだらメルカリで1200円で売却すれば、持ち出しは300円のみで、いち早く新刊を読むことができますよ~ということですね。

これに対する勝間さんのご意見をブログから引用させて頂きます。

著者にとって、本を書いても、原則として新刊の印税しかこないというビジネスモデルだということを、メルカリの代表取締役や参加者はどこまで理解をしているのでしょうか?

もちろん、ブックオフも以前から存在し、中古本はいくらでも市場に出回っていますから、これは今に始まった問題ではありません。ただ、ブックオフは買取価格が安いこともあり、新刊のビジネスとはある程度棲み分けがなされていました。

それが、今回のメルペイは、著者や出版社へのなんの敬意もなく、そのような使い方をわざわざ助長するような決済方法を取り入れて、それを想定ビジネスシーンとするのはあまりにもひどいです。

端的にいうと、

「人が丹精して育てた花をもぎ取るとこちらが感じられるような言動です」

1冊の書籍を作るというのは、そういう重みのあることなんだろうと思います。

勝間和代さんの怒りのポイント

勝間さんの怒りのポイントは

「中古で本を売買する」

ことそのものではなく、

「メルペイという事業体が、声を大にしてそれを助長している」

というところにあるようです。

勝間和代さんのこの最新刊、確かにメルカリですでに大量に出品されていました。
(値段はそんなに下がっていませんので、人気なんだと思います)

勝間さん自身も、「本はAmazonで買ってブックオフで売る」というサイクルを生活に取り入れていると、かなり以前の著書で書かれていたような記憶があります。
(今はどうかわかりません。そもそも記憶違いでしたらすみません)

なので「中古の本を売買すること」自体を否定されるはずはないと思います。

ただ古書店は昔からあったとはいえ、ネット時代のメルカリとは威力が違います。

「結果的に」メルカリが古書店の役割を果たしてしまうのはやむをえないとしても、「公式に」メルカリがそれを売りにするというのは、紳士的ではない。
感情面で許せないというのが勝間さんのお気持ちではないでしょうか。

読者側にもマイルールがある

自分が作家の立場と仮定すれば、人々をそういう方向(本をさくっと買ってさくっと売る)へ誘導するのはやめてよと言いたい気持ちもわかります。

ただ一方で、本を買う側としての気持ちもあります。

わたしは「本におカネをかけない」と書いたことがありますが

お金の遣いかた、決めてますか?わたしのお金ポリシーについてこんにちは、ななみんです。 先日「自分史上貧乏のどん底」時代の話を少し書きましたが https://nanami-k.net...

実際は、一般の人よりは多く使っていると思います。

もし、1カ月に読む本を全部新刊で買っていたら、20,000円は越しています。
図書館やメルカリで代用することで平均数千円になっているので、そういう意味で「本におカネをかけていない」と表現しています。

わたしの中に、本に対する一定のルールみたいなものがあって、おおよそ

  • 新刊でためらわず買う本
  • 1度、図書館で借りるだけで満足する本
  • 1度借りて、再読したいのでメルカリで買う本
  • 1度借りて、これは新刊で買うべきと思って買う本

と分かれます。

現実はおカネよりスペースの問題が大きい。
みなさんそうではないでしょうか。
無尽蔵に本を買えて、置いておけるならそれほど良いことはありません。

でも現実は、本好きであればあるほど、何かのフィルターが必要なのです。

「手元に置きたい本」というのは、わたしにとっての普遍性を備えているものです。

たとえば勝間さんの本は、時代の先端を行っており、旬が大事なのです。だから、スピード重視であり、逆にそのエッセンスを吸収したら、いつまでも手元に置こうとは思いません。
次の旬の本を置かねばなりません。それはもしかして勝間さんの次作かもしれません。

いっぽうで、漱石の「こころ」は、”明日の会議に活かそう”というタイプのものではありませんが、でもなんとなく手放したくない1冊です。

極端な例を出しましたが、言いたいのは「本によって付き合い方が変わるものであり、そこに良し悪しも上下もない」ということです。

まとめ

そもそも、メルカリもメルペイも単なるプラットホーム業者ですから、残念ながら特段の読書好きが集まっているわけでもなく、そこに本や著者に対するモラルだの敬意だのを求めてもいまひとつピントがずれているように感じます。

また、限られた資源のことを考えれば、「リユース・リサイクル・リデュース」という全体の方向性を「本だけは特別扱い」というのも、現実的には難しい話。

図書館や中古の本を足がかりにその作者を知って、それから新刊を買うようになるというのはわりとよくあることです。
本や著者へのモラルや敬意を持つべきは、メルカリではなくて読者のほう。
その母数を増やしていくしかないのではないでしょうか。

わたしは「須賀敦子」という作家を愛していますが、一番最初の1冊は古書店で買いました。古書店がなかったら、もしかしたら買う機会を逃して、そのまま読まずに終わっていたかもしれません。

須賀敦子的な何か、という「軸」 須賀敦子さんについては、本当はブログを書きはじめたらまっさきに書きたい内容だったのに、自分にとって重要な話すぎて、どこか...

しかし彼女の作品は自分にとってなくてはならない、と思った時から、すべての作品を新品で購入し、売ってもいません。

そういうことなんだと思うのです。