こんにちは、nanami*です。
わたしは脱サラ&移住する前のひととき、今思えば
ミッドライフクライシス(中年の危機)
みたいな状態に陥っていて、かなり苦しい時期がありました。
今日はかつてのわたしと同様に、ミッドライフクライシス(中年の危機)でつらい思いをしている人に、ラクになれる考え方をひとつお届けしたいと思います。
CONTENTS
ミッドライフクライシス(中年の危機)とは?
中年(30代後半~40代)にかけては、いろんな変化や重圧が一気に訪れます。
- 自分の体力・気力・容姿の衰え
- マイホームや教育費などの経済的重荷
- 会社内で地位が高まり責任が増える
- 会社内で先が見えてくる
- 若手に追い上げられる
- 能力の限界を感じてくる
- 子どもが成長し必要とされなくなる
- 親の介護
などなど。書いているだけでつらい。
そんな中で、「自分はほんとうにこれでいいのか?」と生きる意味を問い直して悩むこと。あるいは、「人生、こんなものか・・・」と虚しさを感じること。
これらがミッドライフクライシス。
14世紀に『神曲』を書いたダンテですら、「人生の旅のなかば、正しい道を見失い、私は暗い森をさまよった」と言っていたらしい。
俳優のキアヌ・リーブスもミッドライフクライシスを告白しているというほど、普遍的なものなんですね。
ダンテや、キアヌと一緒だと思うとちょっとかっこよさげですけどね・・・
でもこれ、中年の8割が陥る危機なんだそうで、そう考えるとちょっと安心。
わたしのミッドライフクライシス(中年の危機)
わたしの場合、子どももマイホームも親の介護もなく、きわめて肩の荷は軽いほうだったと思うのですが、逆にいうとわたしの存在意義が
会社と仕事
くらいにしか感じられなかったのです。
しかし、会社員の仕事というのは、実は30代くらいの若手でもほとんど解決することばかり。
ぶっちゃけ、40代以上の社員がいなくても会社って成り立つと思う。
わたしは「管理職」という仕事も向いてなかったので、40代になると行き先を見失い、すっかり行き詰った感じになってしまいました。
すると考えるのは、過去を振り返って「こうすればよかったかな・・・」とか、あるいは逆に「老後は何をしようかな・・・」とか。
時間軸に、一番重要な「今」というものがすっぽりなくなってしまっていたのです。
五木寛之「林住期」に出会う
そんなとき出会ったのが、この本でした。
もともと、古代インドからある「四住期」という考え方があります。
学生期(がくしょうき) | 生きる知恵をつけるための学びの時期 |
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家住期(かじゅうき) | 社会人として家庭を作り、仕事に励む時期 |
林住期(りんじゅうき) | 仕事や家庭から卒業、林に入り来し方行く末を瞑想する時期 |
遊行期(ゆぎょうき) | 林から出て思いのままに遊行して、人生の知恵を人々に授ける時期 |
五木さんは、この「四住期」を、人生100年時代にあてはめ4つに区分して、50代から75歳を「林住期」と定義しました。
学生期 | 0~25歳 |
---|---|
家住期 | 26~50歳 |
林住期 | 51~75歳 |
遊行期 | 76歳以上 |
つまり、50代から75歳までは、仕事や家庭から卒業、林に入り来し方行く末を瞑想する時期に来ていると言えるのでしょう。
五木寛之ですら感じる、「中年の危機」
作家として大成功している五木さんのような人でも、「中年の危機」を感じる部分があるようです。
五十歳に達すれば、人はおのずと自分の限界がみえてくる。体力の衰えも感じられる。若者たちからは旧世代あつかいされ、家庭でも組織のなかでも必ずしも居心地はよくない。 功なり名とげた世の成功者たちは、ほとんどその年齢までには世に出てしまっているようだ。 自分にこれからなにができるのか。五十歳というのは、じつにむずかしい時期ではある。
しかし、人間はなんのために働くのか。それは生きるためである。そして生きるために働くとすれば、生きることが目的で、働くことは手段ではないのか。いま私たちは、そこが逆になっているのではないかと感じることがある。
大作家でも、一介のサラリーマンでも、突き詰めると同じようなことで悩むんだなというのは驚きです。
五木寛之的「林住期」の過ごし方の提案
五木さんは、林住期の過ごし方をこんな風に提案しています。
- 50歳でいったんリタイアする
- 自分がひそかにやりたいと願っていたことは何か?問いかける
- 居場所を変える
- 林住期にやることは、カネを稼ぐことを目的にしない
以下は引用文です。
乱暴な言いかただが、私は、現代に生きる人びとは五十歳で、いったんリタイアしてはどうかと思うのだ。実際には六十歳、それ以上まで働くこともあるだろう。しかし、心は、五十歳でひと区切りつけていいのではあるまいか。
人が本来なすべきこととはなにか。 そもそもこの自分は、生きてなにをなそうと心に願っていたのだろうか。私たちの日常は、そういう自己への問いかけすらなすいとまもなく、雑事に追われて過ぎていく。 自分が本当にやりたいと思うのはなにか。以前から、やりたいとひそかに願っていたことは?
そういう問いかけは、追われながら走りつづけている日常からは、うまれてはこない。「林住期」にさしかかった人間にできることの一つは、そういった生活の足しにはならないようなことを本気で自分に問い返してみるということだ。本来の自分をみつめる、とは、そういうことだろう。
そのためには、やはり居場所を変える、というのもひとつの方法である。会社という居場所。家庭という居場所。
私は「林住期」にすることは、すべて「必要」からではなく、報酬とビジネスを無視してやるべきだと考えているのだ。 なにをやってもいい。とにもかくにも、それで金を稼ごうなどとは思わないことである。
現実には50歳といえば一番おカネがかかり、また忙しい時期。
リタイアだの無報酬だの、ありえない!と思う人が多いことでしょう。
確かに、50歳になっていきなり「ハイ林住期!」ってしようと思ってもなかなか難しい。
やはり助走は必要です。
林住期充実のために必要な準備=心の出家
林住期に自由に動くために、五木さんはわりと現実的なご提案をされています。
「林住期」になにかをやろうと思えば、貯えが必要だ。「家住期」とは、せっせとそのために貯金をする時期である。しかし、今の世の中では、生活することで手一杯という場合も少なくないと思われる。
そういう場合は、「心の出家」を覚悟しなければならない。「出家」とは、俗世間を捨てることだ。新聞はよそで読む。テレビは見ない。図書館に行けば本はいくらでも読める。呼吸法やヨーガも、独学でやるぶんには一円もかからない。
それでは生きている楽しみがない、などと悲観してはいけない。世の中、楽しみなどというものは、その気になれば無限にあるものだ。
「新聞はよそで読む」とかセコいこと言っていますが、この考え方=心の出家、は重要なことだと思っています。
要は、ムダな生活コストを落とすということです。
このことは、林住期に入ってからも役立つ考え方、暮らし方です。コストを下げれば、その分、おカネを目的とした働きかたを減らすことができます。
まだ家住期にある人は、林住期に向けた準備ができるし、すでに林住期に入っている人も、考え方ひとつ(心の出家)で、自由度が生まれてくるのではないでしょうか。
まとめ 「心の出家」をよりどころに
ミッドライフクライシスは、誰しも感じて当然の感情。心の出家を求めることで、「そんなに頑張らなくてもいいのだ」という考え方ができるようになってきます。
必ずしも、会社を辞めたり、場所を変えたりする必要はないのだと思います。
わたしたちは50歳より前、5年くらい早く林住期に入りました。今後うまく過ごせるかわかりませんが、ともかく以前感じていた「中年の危機」のようなものはすっかり影をひそめています。
最後にもうひとつ五木さんの言葉を引用します。
スポーツもそうだが、後半のゲームをどうつくるかにすべてはかかっている。