田舎ライフ

田舎生活・地方移住の「強み」を改めて感じています

こんにちは、ななみです。

本日、高知県四万十市のお隣、宿毛市からコロナウイルスに感染された方がいたということで、まぁ、実質的に四万十市から出たのも同じ、と思っています。

いまさら驚きはなく、むしろ「いよいよかな」というような気持になっているんですが・・・そろそろお店のほうも休業せざるを得ないかもしれません。

そうなればもちろん経済的に大打撃を受けますが、とはいえ、(今のところ)それほど悲観的には考えていないんですよね。

収束の時期はまったくわかりませんが、仮に「1年」休業したとしても、死ぬことはないだろうと思っているからです。

そんなに潤沢に貯蓄があるから、というわけではなく、なんていうか、「田舎って、お金がないから死ぬ、という気がしない」んですよね・・・

まず、薪があるから、ガスが代用できます。オットはこれの専門だし。

すぐそこが川だから、生活用水が確保できます。

水!!!

山に行けば、たぶん飲める湧き水があるはずです。

うちは農業をやってないので、自給自足できないのが痛いですが、周囲は農家ばかりなので、お手伝いすればたぶん米や野菜をくれるはずだし・・・

なんなら、そのへんに野草も生えているんですけど、わたしは食べられる草と雑草の区別がつかないんで(笑)

自然に対する知識というのは、生きる力そのものなんですが、都会育ちのわたしが一番弱いところ。

ま、でもいざとなれば、誰か教えてくれるかな。

そもそも家賃が25,000円というのも、大きな安心材料なんですよね。

さすがにこれくらいなら、どうとでもなる金額です。

都会にいたときのことを思い返すと、「会社と電気がなくなったら死ぬ」という恐怖感が常にありました。

近所の人とも全く交流がないし、山も川もないし、誰も農業やってないし、非常時にはオットと2人だけで孤立して、どうにもならないだろうなと。

ただ、「田舎生活全般に感じる、ある種のねばり強さ」の要因はそれだけではなく、そもそも田舎の暮らしはふだんから人間らしいスピードで動いていることにあるのではないかと思うのです。

都会の便利さは、分刻みでやってくる電車や、定刻に動く新幹線・飛行機、また、どこでもなんでも売っているという物流、みんなが時間を守るという横並び意識、そういう「人間の能力をテクノロジーがカバーして何倍にも底上げしたところ+日本的モラル」の上に成り立っています。

なので平常時の都会は凄まじく便利ですが、そのぶん、ほんのちょっとイレギュラーが起こると、混乱の破壊力も凄まじいものがあります。

ちょっとドカ雪が降っただけで、異常な混乱を巻き起こすほどに。

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モラルも非常時にはあまりアテにならないですしね。

いっぽう、田舎の暮らしはなんかすべてがゆるーくつながっている程度で、何をするにも、スピード感がない。横並び的な意識も薄い。

この「鈍行」な暮らしは不便さもいろいろありますが、何か突発的なことが起こっても、人間が追いつきやすいんですよね。

もちろん”一長一短”でもあり、これだけで田舎生活のすべてを礼賛するわけではないですが、このウイルスの問題が収束したら、都会への一極集中の暮らしを見直すという動きがあるかもしれないね、とオットと話しています。
「ふつうであること、平凡な暮らしであること」のありがたさを再認識しつつあるこのごろです。

最後に、現在、世帯によって状況は千差万別で、特に同じ自営業やフリーランスで生活が逼迫している人も大勢いるはずです。

必要な人に必要な援助が行きわたることを切望しているということを付け加えておきます。