思考

40代を過ぎたら、過去形で話してはいけない

こんにちは、ななみです。

田舎に移住してから、以前よりも断然「年上」の人とお付き合いすることが増えました。

正直、この人からは色々教わりたいな~と思える魅力的な人もいれば、1分話してみて、「あ、もういいや」って思う人もいます。すみません。

この違いがどこから来るか最近わかるようになりました。
「魅力的な大人は、会話が現在形か近い未来形。そうでない人の会話はほとんど過去形である」

え、なんだ、そんなこと?と思う人は、たぶん若い。

高齢者どころか、40代を過ぎると、圧倒的に「過去形」でしか会話を持たせられない人が増えてくる。

それはなぜかというと、40代にもなると、人生がまずかなりルーティン化してくるから。

ここで、漫然と若い頃と変わらない生活を送っていると、「今の自分について、話したいことがもうない」ようになってきます。

そして代わりに「一番輝いていたころの自分」(と、自分では思っている)の話をしたくなってくる。

わたし自身の強烈な想い出としてこんなのがあります。

ある日会社にて、60代くらいの上司が

「海外のグローバルな大手企業と、3億の仕事をまとめるのに利害が衝突してバチバチの火花が散ったが、一歩も引かずに交渉をやりとげてやったぜ」

という修羅場の武勇伝みたいなのをやけに生き生きと語るので、去年くらいの話かな~と思って聞いてみたら

「1980年代に」

っていうので本当に卒倒しそうになった記憶があります。

(しかも、3億ウォンの話 ← まぁそれはいいけどさ

とはいえわたし自身も、つい自分の中でキラキラしている感のある時代の話をしたくなってしまうときがあるので、もちろんこの上司の気持ちもわかる。

でも逆の立場で考えてみると、他人の過去の話に、人はそれほど興味ないんですよね。

大事なのは、「今、面白い人なのかどうか」につきます。

だって過去に戻ってお付き合いできるわけではないですし。

もちろん、今現在につながるバックグラウンドとして、過去のことを話したほうがわかりやすいというようなときもあると思います。

ただ、過去の話がメインディッシュになるようになったらおしまいだなと。

特に自己紹介が過去形から始まるともうダメですね。「〇〇の会社にいまして~」「・・・に住んだことがありまして~」「そのころは▲▲と親しくしていまして~」というケースです。

こういう話に終始する人に、面白い人はまずいません。

特に▲▲に国会議員とか入るともう最悪です。偏見か。

ところで、このことを考えたときに、ひとつ新しい気づきがありました。

わたしが「キラキラしていたな」と思って過去形を語りたくなる時代は海外で仕事をしていた30代くらいなんですが、じゃその当時は自分では自分のことをどう思っていたかというと、キラキラどころか、自己否定的で、かなり暗鬱でした。
海外で仕事って言っても、クライアントにコキ使われて、ホテルと仕事現場を往復しているだけ。いつも消耗していて、自分のことをよく「タスクとストレスを何とか解消するためだけの消しゴムみたいだ」と思っていました。

なのに振り返ってみると、そのころのことが妙にキラキラよみがえる。
喉元過ぎれば熱さ忘れるというか、そもそも過去ってかなり美化しがちなんですね。ヤバいです。

だから他人の過去の話も、「うわっすげぇ」と思っても、ま、半額セールで聞いたらいいと思います。

ただ、多少の「盛り」はあるにせよ、しんどかったあの日、は当事者であるときには全然輝かないんだけど、後から振り返った時には意外に良い光を放っている。

ちょっとした褒美なのかなとも思います。

ただ、やっぱりそれでももう、あえて自分だけでひっそり楽しむもので、「人には言わぬが華」

40代を超えてくると、必然的に過去ネタが増えてきてしまうので(歳だからね)、こぼれないよう要注意です。

逆にいうと、過去に頼りたくなるのは、「今現在を肯定できない」人が多いのかもしれない。まだ結果が見えてないし、今の日本って生きるのわりと大変だし。

でも、ごく普通の日常でも、泥臭くてちっとも素敵でないと思う必死な日々でも、今を今肯定することが大事なんだと思います。

堂々と「今、これやってます」と言える人が何歳であれ魅力的だし、そうありたいと思うこのごろです。