思考

年賀状、やめる?やめた?やめない?考えてみたこと

こんにちは、ななみんです。

お正月といえばこれ・・・

永い間、疑いなく書き続けてきた年賀状ですね。

 

しかし私、ある日ふとしたきっかけで年賀状にちょっと疑問を感じるようになってしまったですよね。

それは、どこかでこんな文を見つけてしまったから。

年賀状は、お年賀の挨拶に代わるものとして、直接出かける負荷を減らす役割も果たしています。

 

負荷を減らす役割・・・

負荷を・・・

 

ななみん
ななみん
いや年賀状が負荷ですが!?

負荷を減らす役割を担っていたはずの年賀状が、現代人の負荷になっているという皮肉よ。
昔は、交友関係も今より狭くて、生活リズムものんびりしていて、ゆとりをもって年賀状を書けていたのかもしれませんね。

しかし現代の年末に誰かに会うと、みんな「おせちどうしよう」「大掃除が(以下略)」「年賀状やってない」のどれかしか言ってない気がする。

プリンターやデジカメが発達して年賀状作成はとても簡単になったように見えますが・・・

写真を選ぶ。配置。
1年ぶりに使う年賀状ソフトは使い方を毎回忘れて時間がかかる。
文章を考える。配置。
印刷の色味を確認して、試し刷り。

そんな間に

ななみん
ななみん
あ、あの人、引っ越して住所変わってた・・・(印刷してしまった)
ななみん
ななみん
印刷の色がなんかヘン・・・
ななみん
ななみん
うわ、印刷ずれた《ガーン》

なぜか色々起こるんですよねぇ。

終わったらグッタリ。

もちろん、外注に出すという手もありますが、それでも下準備はいろいろありますね。

 

全体の趨勢からいっても、2019年用「お年玉年賀はがき」の当初発行枚数は前年比7.2%減の24億21万2000枚。
ピークだった2004年用の44憶6000万枚と比較すると、なんとすでにほぼ半数に・・・

(出典:https://www.nippon.com/ja/features/h00331/)

また「平成最後」を機に、終活の一環として”年賀状じまい”をする高齢者も増えているとのこと。

平成とともに「年賀状じまい」 終活背景、人付き合いもスリムに
2018/12/24 07:30

「平成最後となる本年をもちまして、年始のごあいさつを失礼させていただきます」-。来年の新天皇即位で元号が変わるのに合わせ、長年続けてきた年賀状のやりとりをやめる「年賀状じまい」をする高齢者が増えている。人生の終盤に向けて準備する「終活」が広まる中、次の時代は人付き合いもスリムにしたいとの思いがあるようだ。

(神戸新聞)

 

そもそもわたしにとって「年賀状を出す・出さない」と、相手との親密度というのはまったく相関がなくて、年賀状のやり取りがなくても、好きな人は好きです。

そしたら、何のために年賀状書いているんだろうってふとわからんようになりました。

もちろん、SNSやメールを全くやっていない人や、目上の方など、年賀状を出すべき相手もいます。

ただ、そうでなくて、ふだんから何らかの手段でつながっている人に対しては、かつて年賀の挨拶を省力化して年賀状になったように、今は年賀状を省力化していく時代に来ているんじゃないか。

そんなことを想うようになりました。

 

とはいえ、年賀状のように長く続く伝統・慣習には、それなりの意義や良さがあるもので、合理性だけではさくっと割り切れなくて当然ですよね。

それに、実のところ年賀状をやめることで、自分が忘れられてしまうんじゃないか、友だちが減るんじゃないか、なんていう自信のなさもあったりします。

それでも静かに年賀状から卒業しようと思っています。

ムリにすべてやめるのではなく、双方にとって「やめるメリット」があると感じられる場合のみ、一気にではなく少しずつ。

 

そして減らした分のハガキ代を、これから毎年何らかの寄附に変えていこうかなと。それでなんとなく、いろんな方面で気持ちに折り合いがつくような気がしてきました。

みんなが1枚ずつでも減らして寄附にまわしたらすごい金額になると思うんですがどうでしょうか?

2019年がみなさんにとって良い年になりますように!!