思考

50代を目前にして

こんにちは、ななみです。

実は来月でちょうど50歳になります。

なんか40代までは歳を重ねることが全然平気だったんですが、50代はなんか

ズッシリ

としますね・・・

そもそも、想像していた50歳の姿と、今の自分が全然違ーーーう!!

若いころは、50代の人を見ると、「すっかり出来上がったおじさんとおばさん」(雑な言い方)だと思っていました。
良い意味でですよ。
なんか、人格なんかすっかり完成されちゃって、七福神みたいな表情でね。

しかし実際に自分が50代に近づいてみると、精神年齢は30代の終わり~40代初めくらいと、大して変わっていないような。
いや、歳をとった分、さらにそこに図々しさが上乗せされたような。

この調子で行くと、70代でも80代でも大した悟りもなさそう。

いや、むしろどんどんヤバイ老人になっていくんじゃないかと、ちょっとビビリはじめています。

30代の脳ミソに中年の図々しさ、そこに80代の身体がついているのかと思うと、なんだかゲンナリしかない。

まぁ、今からバランスよく調整していくしかありません。
素敵な高齢者は、やっぱり早いうちからそのあたりに気づいていたのかな?

ところで50代を目前にして、ちょっとした気づきがありました。

わたしの交友関係は、若い人たちも多少はいるものの、ほとんどは「同級生か、それ以上」です。たとえば末っ子のわたしは、家族の中でも最年少だったりしますし。

つまり、自分自身が50代ということは、「今のわたしの人生の登場人物は、50年後はたぶんほとんど誰も生きていない」んですね。

これ、なんていうか、「50年後には自分はいないよな~」って思うのと、「50年後には全員いないよな~」って思うのは、少し違いがあるんです。

結局色んな悩みっていうのは突き詰めるとほぼ人間関係から生まれてくるものですが、わずか50年後にはもう誰もいないわけです。

なんだか、あっけない。ふとそんな感じがしたのです。

そう考えると、今、重大に考えている事柄もけっこう些末なことに思えてきて。

むしろ一番大事なことはもっと単純。
「いかに笑って暮らす日を1日でも多くするか」なのではなかろうか。

だって死後にモノやお金を持っていけないことは確かですが、もしかしたら、”記憶”だけは持ち物になるかもしれませんから。

いかに明るく美しい記憶で今後の自分のメモリを埋めていくか。
50代からはそんなことを考えながら暮らしたいと思っています。

・・・と言いながら、先日の楽天お買い物マラソンではたくさん買い物をしてHappyでした!!!(^^)

そのお話はまた。