こんにちは、ななみです。
移住生活も4年目になり、だんだんと友人・知人も増えています。
やはり「Iターン移住者」の仲間が多いのですが、
ここ最近、立て続けに彼ら(彼女ら)から「高知を離れます」というお知らせが来ています。
CONTENTS
Iターン移住者が高知を離れる理由
Iターンで高知にやってきた仲間の、次の行き先は、岐阜県、三重県、北海道、長崎県など様々。
行き先も様々なら、理由も様々で
- 仕事が合わない
- 理想の土地や家が見つからない
- 周辺の住人と合わない
- そもそも高知が合わない
- 高齢の親の近くに住まなければならない
などなど。
移住前の不安のどれかが、だいたい的中している感じです。
・・・と、ここまでの話は、色んなメディアでも取り上げられているようなこと。
「移住の挫折」とか「田舎の真実」とか、いろいろホラー話みたいに書かれていますよね。
なので、こう聞くと、これから移住しようとしている人(特にIターン)は、
と思うかもしれません。
ただ、ちょっと待ってください。
ここからは、移住してからでないと気づかない話を書きます。
移住して初めて気づく「Iターン移住者の本質」
自分自身が移住者であってもなお、移住してずいぶん経って、初めて気づけたことがあります。
それは
- 世間が言う「移住の失敗」という概念は、”移住者はみな定住したがっている”という前提で成り立っている
- 移住者というのは、そもそも「移り住む」ことに抵抗がないから移住者である
- <定住>に執着していない移住者は多い
この3点です。
特に②と③は移住者の本質みたいなものなのですが、移住者自身もわざわざ自覚していないので、みんな忘れがちです。
Iターン移住者のイメージと本質との乖離
一般的にIターン移住のイメージは、
「”北の国から”みたいな生活がしたい」
みたいな、ある土地への憧憬や、そこでの定住を熱望する気持ちの上にあるように思われがちです。
それもひとつの事実なのですが、Iターン移住者の全体像ではありません。
それに、たとえそんな「ある場所に熱く憧れる人」であっても、根底にはどこか上記に挙げた②や③にあたる、「ノマド」というか、「漂流体質」みたいなものがあったりします。
そしてそこが、本人の幸せの源流だったりします。
わたしの友人・知人にしても、高知を離れると決めるまでにいろいろ大変なことはあったにせよ、新天地にまた希望を抱いて楽しそうにしていて、そこに悲壮感はないんですよね。
寂しがっているのは、残されるほうだけ・・・
ただ、定住に執着はしないとはいっても、定住を否定はしません。
結果論として定住になれば、良いことには違いないですよね。
まとめ 「移住の辞書に失敗という文字はない」と思う理由
ここまでの話、まとめると
定住に執着しない以上、移住に最終形はなく、つまり失敗という概念もない
ということになります。
「移住の失敗」は、極端にいえば、マスコミや世間によって”こうであったら面白い”と、作られている部分が少なからずあると思います。田舎のトラブルは特にそう。
表層に現れた事象(住む場所を変える)に注目しすぎると、移住という選択をした人間が本質的に何を求めているのか、わかりにくくなります。
移住の失敗は怖いな~と思って一歩を踏み出せない人に、ひとつの考え方を提示できればと思って書きました。
世間から失敗と思われたくない、と思うなら、何もしないのが正解です。
さて、とはいえ仲間が遠くに行くのは一抹の寂しさはあるのですが、ステージを上がっていこうとする彼ら・彼女らを応援しつつ、全国に知り合いが増えることを喜びたいと思っています。