小さな林業の始め方

【木曜更新】オットの連載 小さな林業の始め方 ⑫ なぜ高知へ移住、そして林業だったのか(後編)

yasu
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こんにちは、ななみのオットのヤスと申します。46才で脱サラし、高知に移住して自伐型といわれる小さな林業を5年間実践してきた本人の目から見た、その林業の世界を紹介したいと思います 

「なぜ高知へ移住、そして林業だったのか」今回が最終回です。

CONTENTS

自分の生い立ちとのつながり

ここで、私の生い立ちまで時間軸を大きく遡りたいと思います。

私は1970年に、父親が勤める会社の社宅がある東京の新宿で生まれました。

生後間もなく、一家は東京西部にある新興団地に引っ越します。

(写真はイメージです)

その後、前編の冒頭でも触れたように一時期アメリカに住んだ後、1980年代初頭にはさらに西にある新興の戸建て住宅地に移ります。

父親はサラリーマン、母親は専業主婦。
父親は日本の高度経済成長を支えた典型的な猛烈サラリーマン(完全に死語?)で、会社での出世とともに住居も郊外の団地から、戸建てへと変遷するという、戦後サラリーマンのサクセスストーリーを体現したような人物です。

私は多感な10代の頃、このような父親の生き方に反発した時期もありましたが、今では父親を誇りに思うし、私を含めた兄弟3人を育て上げた両親には感謝しかありません。

ただ一方で、 自分が育った環境にある種の後ろめたさを抱えるようになりました。
それは深刻な状況ではないけれど、喉に引っかかった魚の小骨のように、常に私につきまとった感覚でした。

身近にあった環境破壊

最初に移った団地も、そして後に住んだ戸建ても、大規模開発によってできた住宅地です。

(写真はイメージです)

どちらも元々は自然豊かな山であったであろうところに、大規模な自然破壊を伴って生まれた場所です。

人が現在住んでいるのは、皆なんらかの自然破壊、開発によって生まれた場所で、私が住んでいたのもそのひとつに過ぎないと頭では理解できます。

しかし成長して、様々な社会問題を知るにつれ、心の中に引っかかりが生まれ、それが徐々に後ろめたさに代わっていくのです。

というのも、私が住んでいた団地も戸建て住宅地も、近くには自然の山の一部がまだくっきりと残っていました。
新興の住宅地で、まだ造成中のエリアもあり、自然と住宅地のコントラストもはっきりしていて、そこが自然を壊して作られたことをリアルに想像できる場所でもあったのです。

私が環境保全型の自伐型林業に惹かれたのは、どこかで、自分が育った環境に対する埋め合わせの機会を求めていたからかもしれません。

都会の暮らししか知らないことの不安

両親に関連して、もうひとつ自分の中で抱えていたコンプレックスがありました。

両親は2人とも新潟県の出身です。日本の中では地方、田舎です。大学から東京に出てきました。
つまり、時代の違いはあるにせよ、田舎と都会、両方の暮らしを知っているということです。その上で東京での暮らしを選択したのです。

対して私は東京生まれ、東京育ち、基本的に東京(都会)の暮らししか知りません。
この差は非常に大きいとずっと思っていました。これは日本に暮らしていながら、日本のほんの一部しか知らないということでもあります。

両親に比べたら、何か人生の深さ、人生という肌に刻まれる皺の深さが違う気がするのです。
このまま都会の暮らししか知らずに人生を終えたら、のっぺりとした肌にしかならないような気がしたのです。

見方によっては、私は恵まれていたと言えるかもしれません。様々なチャンスが東京に集まっており、だから人口も集中し、人々は地方を離れていくのですから。

しかし皆のベクトルが経済成長に向かっているうちは良いですが、その方向性を見失ったときどうなるか。都会ほど脆弱な場所はないし、その時果たして自分は生きていけるだろうか。

都会で生活することの焦燥

東京にいた頃の私は、企業の経済成長を後押しするような仕事に就いていました。

私は経済成長を否定するわけではありません。
今の自分があるのは、間違いなく先人達が苦労して築きあげてきた経済発展の恩恵を受けて育ってきたおかげであり、東京で経験させてもらった仕事があったからこそです。
経済成長がなければ、経済的な余裕も生まれず、広く世界を知ることもなく、移住という選択肢すらなかったかもしれません。

しかし何事も、行き過ぎると弊害はでてきます。

私が東京の生活の中でじわじわと感じていたこと。それは、「過当競争」と「行き過ぎたマーケットイン(※)」がもたらすストレス社会。そして、国際競争力の名のもとにビジネスはより大規模に集約され、その陰で「格差」を生み、「環境破壊」が進んでいる
全て「経済発展一辺倒の社会」の限界を示すものでした

(※)顧客のニーズをくみ取って製品やサービスの開発を行うこと

このままここで消耗してしまっていいのか・・・

そして何より、自分がこのストレス、格差、環境破壊を助長する側に居るかもしれないという焦燥感…。

そして、波乱含みのスタート!?

2016年3月、私も妻も、勤めていた会社に退職届を出し、引っ越しの日取りも決め、さあ、あとは引っ越すのみとなった段階で、その報告とこれまでのお礼を兼ねて、再度、NPO法人自伐型林業推進協議会の中嶋さんと上垣さんにお会いしました。

報告を終えた直後の中嶋さんの第一声、

「なんと!? それは無謀というものだよ、ガハハハッ」

最後の笑い声は深刻にならないようにするための中嶋さんなりの配慮でしょう。
おそらく、たいていの人は同じことを言ったと思います。

ある意味、勢いで移住の段取りを決めてしまいましたが、その時点で決まっていたのは移住先の住居のみ。冷静に考えてみれば、生活や仕事の保証は何もないのですから。

中嶋さんの言葉に、ふと我に返り、厳しい現実を突きつけられた気分になりました。

yasu
yasu
(これはやばいことになったぞ・・・)

と同時に、不思議な力が湧いてきました。

誰もやったことがないような無謀なことだったら、なおさらやる価値があるのではないか。自分たちが社会実験の実験台となるのも悪くない・・・かな。

世の中、無謀だと言われていたことに挑戦して成功した例はあまたある、

一方で、挑戦に敗れた無数の屍も眠っているはずだが・・・

ななみ
ななみ
アタシ屍はイヤだな!

もう間もなく46歳になろうとしていました。

移住する日の朝

こうして、なんとも波乱含みの移住生活が始まるのです。

(この続きは過去の連載「④林業修行物語」へとつながります☛)

最後に

人生には様々なターニングポイントがあります。

我々夫婦にとっては、2015年の年末に自伐型林業に出会ったことが大きなターニングポイントとなりました。何か人生を変える強力なきっかけを欲していたタイミングに見事にはまったとしか言いようがありません。

始めてチェンソーを手にしたころ、林業学校にて

都会の暮らししか知らず、チェンソーを触ったこともない人間が、今はこうして山に入って、当たり前のように木を伐っています。そして、そうした暮らしを心底楽しんでいます。

人生は不思議です。だから面白いのかもしれません。

それではまた次の記事でお会いしましょう。

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