こんにちは、ななみんです。
地方の宿命、「娯楽が少ない」っていうのは、噛み砕いていうと、
生で観られる芸術作品が少ない
ってことなんですよね。
美術館、博物館、演劇、ミュージカル、歌舞伎、狂言、バレエ、コンサート、etc
これらはほとんど地方(県庁所在地を除く)では見られません。
そんな中、今日はとても貴重な機会がありました。
市川笑三郎一門による、歌舞伎講座&公演!
笑三郎さんの弟子である「市川翔乃亮(しょうのすけ)」さんが、四万十市出身ということで実現したこの企画。
会場は四万十市立文化センターです。
やや古いところではあるのですが、744席もある大ホールを備えている立派な施設です。
わたしたちは、前売り券を買い逃して、当日券で入場。
ところが前売り券(自由席)を持っているひとでも、入場前はこの熱気と混雑・・・
氷川きよしのコンサートかと思うような熱気でした。
前半(約1時間)は、笑三郎さんのお話と、三四助さん、翔三さんによる歌舞伎講座。
このお話や講座がとてもオモシロくて、わかりやすかった!
歌舞伎はどうしてもわかりづらくて、何が進行しているかよくわからん・・・ってことがあるんですが、この歌舞伎講座では「小道具がどう使われるか」「どこで掛け声をするのがいいか」などを教えてくれて、そのあとの歌舞伎が何倍もわかりやすくなりましたね。
三四助さん、翔三さんが10代とは思えない素晴らしい進行を見せてくれました。
あぁ、やっぱり若いときから修行してる人は違う・・・!!
笑三郎さんは全国で、こうした歌舞伎講座を20年も行っているんだそうです。
もともと一般家庭のご出身だからでしょうか?ふつうの人と歌舞伎の距離を縮めようと努力されている様子が伝わりました。
歌舞伎役者さんは、しゃべり方が優しくて、それでいてはっきりしていて、聴いていてとても気持ちがいいです。
そして演目は「義経千本桜」から、「吉野山」。
これまで―隆盛を誇った平家も壇ノ浦の戦いでついに滅亡し、九郎判官源義経は朝廷から「初音の鼓」という宝物を賜った。ところがこれは、頼朝・義経兄弟を仲たがいさせて、源氏の力を弱めようという後白河法皇の計略で、「鼓を打つ」ということすなわち「頼朝を討て」という暗示だった。
これが原因となり、義経は頼朝から謀反の疑いをかけられてしまう。伏見で静御前のあぶないところを救った佐藤忠信に義経は、自分の名「源九郎」を譲り、褒美として「自分の鎧」を与える。また形見に「初音の鼓」を静御前に与え、忠信に静をたくす。―
満開の桜が咲き誇る吉野山に、義経一行がいるという噂を聞いた静御前と忠信がやってくる。静は忠信の姿が見えないので、鼓を出して打ってみる。するとまもなく音に呼び寄せられたように、忠信がやってくる。この忠信、実は鼓に皮として張られた夫婦狐の子が化けていたのだ。
忠信が鎧を切り株に載せると静は鼓を顔のかわりに置いて、義経をしのぶ。そしてその御前であるかのように戦のことを思い出して語り、死者を悼んで涙を流す。そして再び二人は義経のいるという川連法眼館を目指して旅だつのだった。
わたしの歌舞伎体験はたった1回、数年前に国立劇場で見た「八犬伝」だけで、ほぼ歌舞伎については門外漢。
ただ、それでも、笑三郎さんの女形がとても優美でステキなこと、翔乃亮さんの忠信がとても若々しくてキレが良く、それでいて所作が流れるように美しいこと、そんなことはわかりました。
翔乃亮さんは四万十市出身で中村高校卒業。幼少期から藤間紫の流れを汲む日本舞踊をやっていたということで、どうりで踊りが美しいはずです。
(写真は禁止されていたので、撮っていません)
以前国立劇場で見た時よりも、なんだか歌舞伎を身近に感じられるとても素晴らしい機会でした。
笑三郎さんはわたしとほぼ同い年なのですが、16歳から、市川猿翁さんに弟子入りして、内弟子としてすでにキャリア30年以上。
そして若手3人も、みんな18歳から弟子入り。みんなエライですねぇ・・・
あくまで所感ですが、笑三郎さんの一門はなんだか仲が良さそうで、翔乃亮さんの「故郷凱旋」をみんなが応援している感じは、見ていてとても温かい気持ちになりました。
久々に歌舞伎を見て、「やっぱりこういう生の芸術」はいいなぁとつくづく思いました。
地方ならでは?か、500円という価格で見られたのもありがたい話です。
東京に行ったら、まだ行ってない新・歌舞伎座に行こうかなぁ。