海外旅行

アメリカ・ドライブ<コラム>アメリカ旅行に持っていく日本食

高知に来てからは減ったが、たぶん一般の人よりはたくさん海外に行ってきたほうだと思う。

ただ、大半が会社員時代に行った旅行や出張なので、せいぜいが1週間、長くても2週間くらい。よく考えてみたら、今回の「1か月のアメリカ」というのは、2回の留学を除くと私にとって人生で最長の旅であった。

行く前には、「さすがにこの長さなら日本食を持って行った方がいいかナ」などと考えた。
そしてスーツケースに米を出したり入れたりしながら、ふと思い出す。
昨年行ったハワイ島では、たしか米を3合も持って行って、1粒も食べずにそのまま持って帰って来たんだっけ。

 

米粒を海外旅行させるのはとてもむなしい。

 

ふと考えた。アメリカ本土ならば、日本食レストランがたくさんあるだろう。いや、エスニックでもいいわけだし、そうそう、大規模なチャイナタウンだっていくつかあるはず。

わたしは2年近く中国に留学したことがある。中華料理は非常に身体に合っていて、日本食がなくて困ったことはまったくなかった。
そうだ、チャイナタウンさえあれば、日本食は必要ない。

そもそも、海外旅行に日本食なんて、海外慣れしていないおじさんみたいだ。
持っていかずに済むのであれば、持っていきたくない。
現地現物で済ませてみせるという意地、見栄、矜持みたいなものがあった。

 

たかが日本食で大げさである。

 

ともあれ、そんな風にして始まったアメリカ旅行の食は、最初の2週間はとても順調だった。
アメリカ料理は意外に美味しかった。たまにアジア的なものが恋しいときは、現地のスーパーで海外製のエスニックカップラーメンを食べてやり過ごす。
その臨機応変ぶりが、我ながら誇らしかった。

 

様子が明らかにおかしくなってきたのは、15日目からだった。

まずお腹の調子が非常に悪くなった。日本の胃腸薬を2日ばかり服用したら回復はした。
しかしそこから食欲というものがすっぽりわたしの辞書から抜け落ちたように、何も食べたいと思わなくなった。

まず定番のサンドイッチ・ピザ・ハンバーガー、それらをまったく受け付けない。

変化球でタコスやチキンならどうか、と見てみてもやっぱり食指が動かない。

食べることそのものを体が拒否しているような気がする。
アメリカにある何を見ても、食べたいと思えない。

食事時になるとテンションが下がるわたしを見て、オットは「イタリアンに行くか」「ここならチャイナタウンもある」「俺もフォーが食べたいな」など、それとなく心配してくれた。

 

でもそのときわたしの頭に浮かんでいたのはただひとつ、”おにぎり”だった。

 

もちろんお金を出せば、アメリカでもおにぎりくらいある。ただわたしのいうおにぎりは、日本のふだん食べている高知のお米のおにぎりだ。
カリフォルニア米だかなんだか、そんなのはダメ。まずいおにぎりを食べるくらいなら、何も食べないほうがいい。

あえて、オットにはおにぎりが食べたいとも言わなかった。その言葉を口にしても、しょせんアメリカにいるわたしにとって美味しいおにぎりは、遠く手の届かない相手である。

そのときは、ベーグルをかじってしのいだ。何も挟まないベーグルは、クセがない。というより、美味しくない。
しかしむしろ「無味乾燥」なベーグルはありがたかった。おにぎり以外の食べ物の味や香りは、どんなものであっても邪魔でしかなかったからだ。

そのベーグルはとりわけ弾力があり、歯と顎のかなりの運動になった。
つらいときにこそトレーニングに没頭するアスリートというのはこういう感じなんだ。

ベーグルは筋トレである

そのあとはタイ料理やベトナム料理、クレープ、サラダやフルーツなどで自分をごまかしながらなんとか旅程を終えた。

正直なところ、20日目以降は、食事については記憶が乾いている。

 

ひとつ反省しているのは、こういうことをやっていると、病気になる確率が高まるということだ。

アメリカで医者にかかると、へたすると数百万から数千万かかるらしい。脳梗塞で5千万円、早産で2億円の請求が来たという日本人の話をツイッターで見たばかり。こうなると海外旅行保険でも対応できず、どんな憂き目に遭うのか想像もつかない。


つまりアメリカで体調を崩すと、人生を狂わせる可能性があるという話。

だったら、意地とか見栄とか矜持とかどうでもいいので、サトウのパックごはんと海苔くらい持っていき、さっさと現地でおにぎりを作れば良かったのだ。

人生を救うかもしれないおにぎり

今回は体調を崩すに至らず、本当に幸いだった。

それにしても、日本食といってもゴマンと種類はある。わたしだってそこそこ高級なものも食べたこともある。でも極限状態で求めるのは「おにぎり」なんだなぁとわたしは何か深いものを感じてしまったのである。

幸せはごく身近なところに、すでに存在していた。

この調子だと、たぶん最期の晩餐もおにぎりで良いんだろう。ほんとに良いのか。