こんにちは、ななみです。
一般的に、ブラック企業=悪、ホワイト企業=善、という図式がありますよね。
でも、果たしてそんなに単純かなぁ~って良く考えるんです。
もちろん「ステキなブラック企業」なんていうのはありません。
ただ、ホワイト企業に20年勤めた人間から見ると、
ホワイト企業にいることが、人生で最善だ
という考え方には疑問符があります。
CONTENTS
ホワイト企業に恵まれました
わたしは約20年間で3社ほど変わりましたが、どこもホワイト企業でした。
一番長いところは社員100人くらいの中小企業で、特に有名ではなかったけれど、給与も良いし、休みもあるし、何より「人間関係」が良かった。
会社員としては相当に幸せなほうでした。いまだに感謝してます。
大手広告代理店Dさんが「グレー」であるように、ブラック・ホワイトと、会社の知名度や規模はあまり関係ないかと。
ホワイト企業の呪縛
がしかし、今思えば、
ホワイトだからこそ、延々と辞められなかった
という面も確実にあるのです。
ホワイト企業にいる人は、もし「違和感」を感じても、
「こんないい環境でダメなんて、他でやれるわけない」
または
「正社員になれない人も多いのに辞めたいなんて贅沢だ」
と思います。自分を諌めます。
それに、
「こういう安定した人生を目指して頑張って来たのに、もったいない」
とも思います。
ホワイト企業を辞められない理由は、世の中が「正社員至上主義」で、その価値があまりにも高く評価されすぎているから。
まぁ実際に辞めてみると、保険や年金、社会的信用など、正社員がちょっと恵まれすぎているのは事実。
手放すには惜しいものを持っていることが、足かせになるということもあるのです。
ホワイト企業=名門野球チーム
会社はチームプレーで、スポーツにたとえると「野球」に近い。
打率の低い人もいるしちょっと守備の下手な人もいるけど、みんなでカバーし合っている。
でもバッターならば「4番」を争うし、ピッチャーなら「先発」を争う。
ライバルでもあり仲間でもあるのが、会社の面々。
日本の学校教育は、サラリーマン養成機関の傾向が強く、全員が”まぁまぁ上手な野球”をできるようにすることを目的にしてますよね。
だって高校の大半は「普通科」じゃないですか?
なるべくたくさん、普通の人を作りたいわけです。
こうして、「普通の人は、名門野球チーム=ホワイト企業に入ることが最大の幸福」という価値観が醸成されていきます。
怖いのは、どんな人でもずーっと”野球の練習”をさせられていると、それなりに適応して、そこそこうまくなっちゃうこと。
こうなると、本当は野球以外にもっといい適性があっても、そちらを開花させる機会はどんどんなくなっていきます。
そもそも会社という”野球チーム”に入ることが大前提になっているから、人生の重要事項が
「どのチームに入るか?」
「どの監督の下がいいか?」
「どのポジションが取れるか?」
「年棒はいくらになるか?」
というところに終始するのですが、本当は、
野球じゃなくて、ひとりでヨガやりたい
って人も少なからずいるはず。
でもそんな人もとりあえずバットを振らされるから、気づかない。
それで、本心ではやりたくもない”野球”のことをずっと考えるようになるわけです。
「ひとりでヨガ」の道
わたしはそれこそ、「野球じゃなくて、ひとりでヨガやりたい」という人間でしたが、それに気づくのになんと40年以上かかってしまいました。
じゃフリーランサーはそんなにいいかというと、「ひとりでヨガ」しているようなひとが、お金を儲けるのは至難だし、孤独感もあります。
”野球チーム”の、連係プレーや、勝った時の一体感、仲間意識。
そういうのも懐かしい。
でもやはり、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
ヨガ行者でいい。このまま食える限りは進んでいくと思います。