こんにちは、ななみです。
ブログにお越しくださりありがとうございます!!
プロフィールって難しいんですよね。めちゃめちゃ書き直ししています・・・
適当につまみ食いしながら読んで頂けると幸いです。
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ざっくり自己紹介
1971年生まれ。現在、高知県の西端である四万十市に在住。
生まれと育ちは東京都世田谷区で、神奈川県川崎市幸区にも10年ほど居住経験があります。
都立高校から大学へ行き、その後東京で日系の生命保険会社に入社。
約3年勤めて「円形脱毛症」を発症し退職・・・
それから、イギリス(ロンドン)と中国(西安市)へ留学。(合計約2年半)
西安とは、唐の時代の都、長安。中国のど真ん中くらいに位置します。
歴史が好きなわたしは、中国の中でココを選びました。
東京、四万十に次ぐ、第三のココロの故郷。
帰国後、市場調査会社に入社し、主に海外市場調査を担当して約15年勤務しました。
30代はともかく「中国」にハマり、仕事もプライベートもほぼ中国一色という10年間を送りました。
そんな感じで30代はとても安定した会社員時代を過ごしていたのですが、40代になってから急にあわただしくなります。
- 結婚
- 転職
- 退職(脱サラ)
- 移住
- 自伐型林業
- カフェ経営
これらを全部5年間くらいのうちにやりました。
会社を離れ、こちらにきて初めて「自分のモノサシでいう”幸せ”ってなんだろう」と自問自答続けてます。
このブログのテーマ
やりたいことだけをやる、ミニマルな暮らしがテーマです。
やりたくないことはやらないために、生活コストもできるだけ抑える工夫をしてますが、かといって、心が貧しくなるような暮らしはしたくない。
お金を遣わず、頭を使って、夫婦がいつも穏やかな笑顔でいられる暮らしづくりに試行錯誤しています。
いま、やっていること
- オット:自伐型林業家を目指し努力中
- わたし:在宅のブロガー、ライター
- ふたり:一緒に週末カフェを経営しています
オットは「ひとり林業」をやってます。いわゆる「自伐型林業」、「小規模林業」ですね。
まだ自分たちの山は持っていません。なかなか、いい山に巡り合わず、今は、近所の山主さんの山を整備させてもらっています。
そして、その森で伐った薪を使って、オットはコーヒーを自家焙煎することにしました。
わたしは、スイーツを作っていて、それで2人で週末のみのカフェを経営しています。
カフェを開くまでの経緯はこちら。
薪を使った焙煎の実態はこちら。
イメージとしては、
- オットが木を伐り(一次産業)
- その余った薪で珈琲を焙煎してカフェをやり(二次産業)
- そんな生活を発信していく(三次産業)
その利益でまた林業の原資を・・・
という形で、「家庭内6次産業」風に暮らせたらなぁと思っていまして。
いま、ヨチヨチ歩きですが、そんな感じになりつつあります。
さらにいえば、そこから他の人と能力や資産をシェア・コラボしていって、ゆるいつながりのある経済圏が自分たちのまわりでできていくと、より楽しくなるなと思っています。
脱サラした理由
さて、なぜ会社を辞めたかという話です。
夫婦ともに、会社の環境も良く、周囲にも恵まれ、実はそんなに悪い生活ではなかったのですが、40歳を過ぎたころから、もう65歳までの景色はなんとなく見えてきました。
そこまではまぁいい。仕事をしていれば頑張った気にもなってそれなりに満足に過ごせるかもしれない。平和に。
でも、
『65歳まで働いたとして、そのあと寿命90歳としたら、その25年間はいったい何をするんだろう?』
と思ったときにちょっと絶望的な気分になることが多くなりました。
会社員の看板を下ろした自分を想像すると、そこでやるであろうことは。
シニア向けの教養講座に通い、友だちと美味しいものを食べに行き、映画館、美術館、図書館に通い、オットと海外旅行をし、ゴルフレッスンでも再開する。
全部好きといえば好きなことなんだけれども、25年もやれるだろうか・・・
壮大な「ヒマつぶし」のようにしか感じられない。
しかもそれを優雅に続けるために、なるべくたくさんのお金を貯めようとするでしょう。
人生100年時代、なんて、祝いどころか呪いだぁ・・・
いま、何かを変えなければならないんじゃないか?
でも・・・
を繰り返す40代前半でした。
「人生100年」というのももちろん図々しい想定で、誰でも明日死ぬ可能性もあるわけです。
そのときのわたしは、「長生きしても後悔、明日死んでも後悔」するような気持ちでした。
「会社員のまま死にたくない」心底そう思った
そのときふと考えたのは、30歳を過ぎたころから何度も起業したいと思っていたこと。
でも、自分にはムリだな~と、思っては消し、思っては消していた気持ちでした。
ある日突然、ふと、でもはっきりと、
会社員のまま死にたくない
と思いました。
誤解なきよう言いますが、会社員というものを否定したいわけではありません。
世の中が便利で安全で快適なのは、ほとんど「会社員」のおかげだと思っています。
ただ、人生で一度は起業してみたかったなぁ、とか思いながら死にたくない。
ほんと、そんなシンプルな気持ちです。
S・ジョブズのこんな言葉は、その時も今もわたしの背中を押し続けます。
「もし今日が自分の最後の日だとすれば、本当にしたいことは、会社に行くことではない」と、明確に感じました。
もうひとつ付け加えると、わたしは「管理職」というポジションにどうもなじめなかったのです。
〇〇長とかリーダーとか、40歳も過ぎると色んな職位を押し付けられますが、どれも本当に苦手でした。
マネージャーよりプレーヤー向き、というとカッコいいけど・・・
とはいえ、会社は30代以下のプレーヤーで十分まわってるよなぁ、と見ていました。
1歳だけ年上のオットもオットで、人生を見つめ直したいターニングポイントに来ていたらしく、ふたりで出した結論は、「会社を離れた素の自分たちに、何ができるのかを試したい」。
オットは第二の人生の対象として「林業」に興味を持ち、わたしは家で文字を書く仕事をしたいなと思っていました。そして環境としては、自然に近いところで暮らすこと。
とはいえ正直なところそんなに自信があったわけでもなく。
ただ、「やりたくないことをやめよう」っていうところからスタート。
最後の最後に背中を押したのは、ガンと闘いながらも「できない理由」を挙げることなく、自分の生きたい場所を選んでひとりNYへ渡ったジャーナリスト、千葉敦子さんの本でした。
そんなことを考えていた時に、天啓のように大雪が降り、わたしは会社を辞めたのです。
なぜ地方に移住したのか?
もともと夫婦とも旅が好きだったので、いろいろ日本や世界をめぐるうちに「都会より田舎がいいな」と思っていたこともあります。
それにオットがやりたいことが「林業」だったため、自然と地方移住という選択肢が浮かんできました。
わたし自身は、かなり前から実は地方で暮らすことに憧れていました!
軽自動車で大きなスーパーやホームセンターにスイスイ行くような生活!
ハスラーはさておき、移住することはスンナリ決まって行きました。
移住先の決め方はこんな感じ。
色々書いてますが、ぶっちゃけ直感で決めた感じも強いです。
なぜ40代を過ぎて、脱サラ・移住できたのだろう?
自分で言うのもなんですが、勇気ありますよね!
たぶん1つには、オットもわたしも海外を見てきた時間が長いので、
- 世の中は何でもアリだなぁ
- 人間はやったもん勝ちだなぁ
という感覚が身に着いていたこと。
2つめは、そういう人間同士が夫婦だったこと。ひとりだとこの勇気は出なかった。
3つめは、現実的な話として、子どもがいなかったこと。誤解を恐れず言うと、わたしたちは身軽でした。
ブログを書く理由
自分が移住を考えたときに、40代(以上)が書いている、参考になるブログってほとんどなかったんですよね。
なので、別に年代を限定しているわけではないのですが、特に40代前後で同じように「これから改めて人生がんばろー」と思っている方の参考になるページになれば幸いです。
もちろん若い方にも、50代以上の方とも交流したいし、そうした読者が増えることが、わたしにとってはモチベーションになります!
届きたい境地
田舎に来たのは、自然に近いところに身を置きたいというだけで、「田舎らしい暮らし」を特に目指してはいません。
野菜も米も買います。
外食もします。
薪風呂もステキだけど、電気はやっぱり便利だ。
田舎にいるんだから、あれしないと。これはやめないと。と思うと、他人のモノサシで生きていた都会と結局同じことになります。
わたしがここでやりたいことは
自分だけのモノサシに従い、大切なものを見失わないこと。
当たり前すぎて、できる人にとっては「なんのこっちゃ」かもしれませんが、がんばらずにごくごく自然にそんなことができるひとになりたいのです。
最後までお読み頂いてありがとうございました☆